須原宿(木曽路)・定勝寺

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須原宿(木曽路)・定勝寺

【 概 要 】−定勝寺(長野県木曽郡大桑村)が何時頃に開かれたのかは不詳ですが、須原宿(木曽路)・定勝寺寺伝によると室町時代の嘉慶元年(1387)に木曽親豊が先祖の菩提を弔う為、初屋和尚を招いて創建したと伝えられています。当初は木曽川の河畔に境内を構えていた為、水害で被害を受ける事が多く、文安5年(1448)と享徳3年(1454)に堂宇が流出し、木曽氏は定勝寺を再建する際に関所を設け、その通行料の一部を造営費として賄いました。享徳4年(1455)には(木曽)左京大夫家賢が慧厳(香林)を住職に任命、康正2年(1456)には(木曽)家定が周辺の関所に対して定勝寺に関係する荷物を滞りなく通過させるように命じた判物を発給しています。文明16年(1484)には木曽家豊の一周忌の追善供養の為、家豊の弟される家盛が定勝寺に十三仏像を奉納しています。十三仏像は幅57cm、奥行44cm、高さ73cmの厨子の中に像高約40cmの本尊を、像高約20cmの小仏が12躯取り囲んで安置されている貴重なものとされます。木曽家の菩提寺として寺運が隆盛し興禅寺(長野県木曽郡木曽町福島門前)、長福寺(長野県木曽郡木曽町福島門前)と共に木曽三大寺の1つに数えられました。文禄4年(1595)に3度の水害を受け、当時の領主石川光吉が慶長3年(1598)に天心和尚を招き中興し、木曾義在居館跡地である現在地に境内を移して堂宇を再建しています。現在の定勝寺本堂は再建当時の建物で承応3年(1654)の庫裏、万治4年(1661)の山門と共に国指定重要文化財に指定されています。又、天正2年(1574)に本堂の修復の際に「蕎麦切り」が振舞った事が記載されたという古文書が発見され、現在知られている限りでは「蕎麦切り」という名称が出現する日本最古の記録とされます。本堂には木曽義昌の位牌が安置されている他、木曽家のものと思われる墓碑が数基境内に建立されています。

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