【 概 要 】−大脇家(岐阜県中津川市馬籠)は屋号「大黒屋」を掲げ、馬籠宿の問屋や年寄役など宿場内の上役を歴任した家柄で、生業として酒造業を営み馬籠宿を代表する商家として発展しました。馬籠宿の本陣職を担った島崎家とは関係が深く、宿場の上役同士だった為、協力して宿場の運営や例祭などの年中行事などに尽力していたようです。明治維新後に衰退した島崎家最後の当主島崎正樹(文豪島崎藤村の実父)が死去し島崎家が明治25年(1892)に馬籠宿を離れ東京に移り住む事になった際には隣同士だった事も関係し土地や家財、古文書など一切が大脇家に売られています。明治28年(1895)の馬籠宿大火により大黒屋も全て焼失したと思われましたが、近年、島崎正樹の蔵書、「古事記伝」、「玉多須喜」、「志都乃石室」など約100冊が大黒屋の蔵から発見され、土蔵は焼失を免れていた事が窺えます。又、島崎藤村の代表作の1つ「夜明け前」は大黒屋10代目大脇兵右衛門信興が残した「大黒屋日記(年内諸事日記帳)」がきっかけになったとも云われ、「大黒屋」は「伏見屋」として描かれ、娘「おゆうさん」は藤村の初恋相手として、著書「初恋」のモデルとも言われています。現在の建物は火災で焼失後に再建されたもので、内部は茶房として再利用されているようです(杉玉が下げられているのは酒造業を営んでいた名残とされます)。隣接する本陣跡の敷地は「大黒屋」が所有していましたが、その後、小川村(現在の中津川市)に寄贈され藤村記念郷として敷地内には藤村記念館や藤村記念堂、本陣隠居所、記念文庫などが建てられています。
馬籠宿・名所・見所:大黒屋(大脇家)・永昌寺・島崎藤村生家・清水屋(原家)・脇本陣(蜂谷家)
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