島崎藤村

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人 物 名
備 考
・島崎藤村・島崎家は現在の三浦半島周辺を支配した三浦家の一族で、戦国時代の島崎重綱の代に木曽谷に土着し、当時の領主木曽義在に仕えるようになったとされます。木曽家から忠誠を条件に領地の加増の書状が発布され、小牧・長久手の戦いでは重綱が妻籠城、嫡男島崎重通は馬籠城に入って徳川方の大軍と戦っています。木曽義昌が下総阿知戸(千葉県旭市網戸)に移封になると、土豪に戻り、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には山村家に従い、徳川方本隊の木曽路(中山道)進軍に協力した為、重通の子供が妻籠宿(長野県南木曽町)と馬籠宿(岐阜県中津川市)の本陣職を命じられています。馬籠島崎家は、馬籠の取れ高の4割にあたる石高を領し、問屋を兼任するなど、大きな影響力がありましたが、江戸時代末期頃から参勤交代が形骸化し、明治時代には宿場制度そのものが廃止になった為、経済的な困窮を招きました。又、最後の当主で島崎藤村の父親である島崎正樹は平田派国学者だった為、幕末から明治維新にかけては、様々な交友関係を持ち、その行動費も拍車をかけ、明治25年(1892)には東京に移り住む事になっています。藤村は明治5年(1872)に生まれ、明治14年(1881)には上京し、明治学院普通部本科を卒業後は教師の傍ら次々に作品を発表し、日本を代表する文豪となっています。藤村の故郷である馬籠宿を中心に木曽路周辺を題材にした作品も多く見られます。
・馬籠宿本陣・藤村の生家。
・馬籠宿脇本陣・藤村の小説「夜明け前」の桝田家。
・永昌寺永昌寺は永禄元年(1558)、島崎重綱により創建。島崎家歴代の菩提寺。
・大黒屋・馬籠宿本陣の隣、明治時代に島崎家が東京に引越しした際、家財の全てが大黒屋に売り払われた。藤村の小説「夜明け前」では「伏見屋」、初恋の人「おゆう」の実家。
・清水屋清水屋は馬籠宿問屋職、藤村の小説「嵐」では「森さん」、長男楠雄の預け先。
・四方木屋・藤村が長男楠雄の為に出資して建てられた旅館。
・諏訪神社・馬籠宿の鎮守。境内に島崎正樹(藤村の父親)顕彰碑
・馬籠城・小牧・長久手の戦いでは木曽義昌の命により島崎重通が城将として赴任。
・妻籠宿本陣・馬籠宿本陣職の島崎家とは一族、藤村の母親は妻籠島崎家出身。藤村の兄は妻籠島崎家の養子。妻籠、馬籠の両家は何度も血縁関係を持った為、晩年は遺伝子的に良くなかったとも云われています。
・林家・妻籠宿、脇本陣奥谷、藤村の初恋の人「おゆう」の嫁ぎ先。
・光徳寺光徳寺は妻籠宿本陣島崎家の菩提寺。
・高瀬家福島宿、山村家の家臣、藤村の姉である「園」の嫁ぎ先で、小説「家」のモデル。
・清水医院跡須原宿、藤村の姉「園」の入院先、小説「ある女の生涯」での「蜂谷医院」。
徳利屋奈良井宿脇本陣、旅籠、藤村宿泊地
山村代官屋敷・藤村の文学碑。
上松宿・藤村の文学碑。
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