馬籠宿(木曽路)・清水屋

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馬籠宿(木曽路)・清水屋

【 概 要 】−原家(岐阜県中津川市馬籠)は屋号「清水屋」を掲げ、馬籠宿の組頭などの上役を歴任馬籠宿(木曽路)・清水屋し本陣職を担った島崎家とも関係が深かったとされます。原家の祖は高遠藩(長野県伊那市高遠町:本城−高遠城)の藩士でしたが、享保19年(1734)に原弥惣の代に馬籠宿に土着するようになったと伝えられています。その後、5代平兵衛の代に組頭を担うようになり、6代平兵衛は宿役人に抜擢され明治維新後も副戸長や戸長など村民を指導する立場となり、8代一平は村長として馬籠発展に尽力しています。馬籠宿本陣職を担った島崎家出身で明治から昭和初期の文豪で知られた島崎藤村は明治25年(1892)に馬籠宿を離れ東京に移り住んだ後も、江戸時代から付き合いの深かった原家を頼り、大正11年(1922)に長男である島崎楠雄を東京明治学院を中退させ馬籠で帰農させる際に、その身を預けています。

現在の原家住宅(清水屋)主屋は明治28年(1895)の火災で被害を受けた直後に再建されたもので木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、桁行13.9m、建築面積182u、正面下屋庇、1階格子戸、2階出格子、外壁正面は真壁造白漆喰、外壁その他は下見板張縦押縁押え、2階正面外壁両側には防火、延焼防止用の袖壁(白漆喰)、馬籠宿は大正4年(1915)にも大火により大きな被害を受けている為、原家住宅(清水屋)はそれを免れた貴重な存在です。原家住宅(清水屋)は明治時代に建てられた大型町屋建築の遺構として貴重な存在で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成25年(2013)に国登録有形文化財に登録されています。主屋背後に設けられた土蔵も主屋と同年代に建てられた建物で土蔵造2階建、切妻、平入、桟瓦葺、桁行5.5m、梁間4.5m、建築面積30u、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張縦押縁押え主屋と同様に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成25年(2013)に国登録有形文化財に登録されています。現在は清水屋資料館として整備され、内部には藤村の書簡や掛け軸(「是より北木曽路」)、写真、覚書(小説執筆にあたっての覚書)、書画(尾形光琳、土佐光則、富岡鉄斎)、陶磁器(九谷焼、伊万里焼、唐津焼)、原家に伝わる古文書などが展示されています。又、島崎藤村の代表作の1つである「嵐」で登場する「森さん」は8代原一平をモデルにしていると言われています。

馬籠宿・名所・見所大黒屋(大脇家)永昌寺島崎藤村生家清水屋(原家)脇本陣(蜂谷家)
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