馬籠宿(木曽路)・永昌寺

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馬籠宿(木曽路)・永昌寺

【 概 要 】−永昌寺(岐阜県中津川市馬籠)は現在の神奈川県横須賀市を領していた馬籠宿(木曽路)・永昌寺三浦家(桓武平氏)の一族である島崎監物重綱(七郎左衛門)が当地に土着した後の、永禄元年(1558)に一族の菩提寺として創建した臨済宗の寺院です。重綱は馬籠城を居城として当地を支配し、その後、木曽谷の領主である木曾義在に従いました。跡を継いだ島崎重通は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際、木曽家の家臣筋だった山村家が徳川家に従った事を受けそれに協力した功から、戦後に中山道が開削され馬籠宿が成立すると本陣職を命じられています(因みに妻籠宿本陣も島崎家の一族が勤めています)。以後、馬籠宿の本陣は島崎家が歴任し、永昌寺はその菩提寺として庇護され寺運も隆盛しています。江戸時代末期に島崎家からは明治時代から昭和初期にかけての日本を代表する文豪として知られた島崎藤村を輩出した為、藤村の代表作の1つである「夜明け前」では永昌寺が「万福寺」として描かれています。境内には島崎藤村の供養塔の他、歴代島崎家の墓碑が建立されています。永昌寺は馬込宿の心の拠り所として信仰され、明治6年(1873)から明治9年(1876)にかけては敬義学校(現在の中津川市立神坂小学校)が開かれています。又、永昌寺には寺宝が多く、青面金剛庚申塔(高さ68cm、幅35cm、像は六臂で二臂は合掌)、木造阿弥陀如来座像(平安時代末期作、檜材、一木造、漆箔、像高58cm)、木造聖観音立像(江戸時代前期、円空上人作、一木造、像高53cm)、紙本墨書大般若経(建保3年:1215年製作されたものを室町時代初期に写経、全600巻の内、巻第410と巻第450の2巻が現存)が中津川市指定文化財に指定されています。

馬籠宿・名所・見所大黒屋(大脇家)永昌寺島崎藤村生家清水屋(原家)脇本陣(蜂谷家)
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