【 概 要 】−馬籠宿(岐阜県中津川市馬籠)の脇本陣は代々蜂谷家が勤めました。蜂谷家は屋号「八幡屋」を掲げ脇本陣の他、宿場の年寄り役などの要職を担い、生業として酒造業や金融業なども行っていました(美濃国発祥の清和源氏山県氏流の一族の蜂屋氏と関係があるのかも知れません?)。脇本陣は本陣に身分が高い人物の利用が重なった際により身分が低い一方が利用する本陣の補助的施設の事で、その事に備えて、表門の他、式台付の玄関、床が他の座敷より高く床の間や書院などを備えた上段の間などが求められました。特に中山道を参勤交代で利用する諸大名が多く、公家や幕府の役人の往来もあった事から脇本陣とはいえ、需要があったと思われます。
脇本陣蜂谷家には1階の部屋数が13室、2階の部屋数が3室、合計16室と大規模な施設でしたが明治28年(1895)、馬籠宿大火により建物が類焼し現在は宝暦3年(1753)に改築した際に築かれた亀甲型の玄武岩による石垣が往時の繁栄を窺う事が出来ます。又、馬籠宿の本陣職を担った島崎家とは関係が深く、島崎家出身の島崎藤村ので代表作の1つ「夜明け前」では「桝田家」として表現され、その資料として初代源十郎から4代約100年に渡って書き示された「蜂谷源十郎覚書」が参考になったとされます。現在、跡地には「馬籠脇本陣資料館」が建てられ、蜂谷家に伝わる古文書や火事で持ち出されて焼失を免れた資料、調度品、民具、衣類などが展示、上段の間が復元されています。
馬籠宿・名所・見所:大黒屋(大脇家)・永昌寺・島崎藤村生家・清水屋(原家)・脇本陣(蜂谷家)
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