贄川宿(木曽路)・麻衣廼神社

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贄川宿(木曽路)・麻衣廼神社

【 概 要 】麻衣廼神社(長野県塩尻市贄川)は贄川宿の鎮守で古くから信仰されてきました。創建は平安時代の天慶年間(938〜947年)に信濃国(現在の長野県)一宮である諏訪大社の分霊を勧請したのが始まりとされます。木曽路の中では最古の諏訪系の神社とされ、本社と同様に7年に1度例祭である御柱祭りが行われ、境内には1列に御柱が建てられています(本社である諏訪大社では社殿の四方を囲むように御柱を建てます)。天正10年(1582)、武田家を見限り織田家に転じた木曽義昌と、武田家最後の当主である武田勝頼による兵火により大きな被害を受けたとされます。その後、文禄年間(1592〜1595年)に当初の鎮座地だった諏訪坂東から現在地に遷座し社殿が造営されています。古くから神仏習合し諏訪社と呼ばれていましたが、明治時代に入り発令された神仏分離令により仏教色が一掃された事を受けて社号を「麻衣廼神社」に改め、明治5年(1872)に村社に列しています。何故社号に「麻衣廼」を掲げたのかは不詳ですが、木曽地方では麻衣が盛んな地域で、「木曽の麻衣」として中央にも広く知られた存在となり複数の和歌にも詠われています。現在の拝殿(兼本殿覆い屋)は慶応元年(1865)に造営されたもので切妻、平入、鉄板葺、桁行2間、梁間2間、正面軒唐破風、外壁は素木板張。本殿は延享4年(1747)に造営されたもので三間社流造、こけら葺、箱棟、漆塗、桁行約3m、梁間約1.9m、向拝の虹梁木鼻など室町時代の形式が採用、棟梁は金原周防守。麻衣廼神社本殿は江戸時代中期の神社本殿建築の遺構で、棟札により建築年、棟梁の名前などが明確で資料的な価値も高い事から昭和60年(1985)に塩尻市指定有形文化財に指定されています。又、麻衣廼神社境内は神域の為に植物の伐採が行われなかった事からスギ・ケヤキ・ウラゲエンコウカエデ・クリ・イチイ・ヒノキ・スギなどの多様な植物が茂り、面積2915uが昭和61年(1986)塩尻市天然記念物に指定されています。祭神:建御名方命。合祭神:事代主命、保食命。

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