長野県の温泉:概要 別所温泉(長野県上田市)の開湯は日本武尊が仙人に導かれ発見したのが始まりとされます。古くから入湯すると七つの苦難に効能がある事から「七苦離の湯」と呼ばれ清少納言が随筆した枕草子に記されている「ななくりの湯」とは別所温泉とする説もあります。鎌倉時代に入ると塩田北条氏が開発した事で安楽寺や常楽寺(北向観音)などが繁栄し名取御湯(秋保温泉)、犬養御湯(野沢温泉)と共に三御湯に数えられ江戸時代には諸国温泉功能鑑に名を連ねました。泉質は単純硫黄泉。野沢温泉(長野県下高井郡野沢温泉村)の開湯は養老年間(717〜724)に猟師が傷ついた熊が湯浴びをしていたのを発見したとも、神亀から天平年間(724〜49)に行基菩薩が発見したとも云われています。古くから名湯として知られ鎌倉時代には名取御湯(秋保温泉)、信濃御湯(別所温泉)と共に日本三御湯に数えられ江戸時代には飯山藩主松平家の湯屋(別荘)が設けられました。泉質は硫黄泉、13箇所の外湯(共同温泉)。渋温泉(長野県下高井郡山ノ内町)の開湯は奈良時代、行基菩薩が発見したのが始まりとされます。戦国時代は武田信玄の隠し湯として開発され江戸時代には松代藩主真田家の本陣が設けられました。温泉街には草津街道が通っていた事から数多く旅人や文人墨客達も利用しています。源泉は37箇所、9箇所の外湯(共同浴場)。浅間温泉(長野県松本市)の開湯は不詳ですが日本書紀で記された白鳳14年(684)の束間の温湯とは浅間温泉の事ではないかと推定され、又、万葉集の「浅葉の里」、「麻葉の湯」も浅間温泉を連想させます。江戸時代に入ると松本藩主石川数正が御殿湯を設けて「松本の奥座敷」と呼ばれるようになり諸国温泉功能鑑にも名を連ねました。明治時代になると浅間温泉はアララギ派の拠点にもなった為、数多くの文人が訪れました。泉質はアルカリ性単純温泉。
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