別所温泉: 安楽寺

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概要・歴史・観光・見所
安楽寺(上田市・別所温泉)概要: 崇福山安楽寺別所温泉の温泉街の一角に境内を構えている曹洞宗の寺院です。安楽寺の創建は奈良時代の天平年間(729〜749年)、高僧として知られる行基菩薩が長楽寺・安楽寺・常楽寺の3寺を開山し薬師如来像を安置するため瑠璃殿を建立したのが始まりと伝えられています(安楽寺は天長年間:824〜834年に開かれたとの伝承もあり。)。その後、平安時代の安和年間(968〜970年)に信濃守である平維茂が戸隠山(長野県長野市)に住んでいる鬼女の討伐に際し安楽寺で戦勝祈願を行い4院60坊を開き八角三重塔を建立、寺領1000貫門を寄進しています。安楽寺がある別所温泉に境内を構える北向観音も平維茂によって大改修されたとの記録が「信府統記」、「信濃奇勝録」、「善光寺道名所図会」に記載されています。又、別所温泉には平維茂が鬼女紅葉との戦いで受けた17箇所の傷が元で当地で没し維茂の墓所と伝わる将軍塚が築かれています。

しかし、上記の事柄は伝説、伝承の類と考えられ、実際は鎌倉時代後期に樵谷惟仙和尚によって開山されたのが始まりとされます。樵谷惟仙和尚は信州(木曽源氏の後裔?)出身とされる人物で中国(宋)の高僧で鎌倉建長寺開山した蘭渓道隆和尚と共に中国(宋)で修行を重ね、帰国後に、塩田平を本拠とする塩田北条氏から召喚され安楽寺を創建しました。2世となった幼牛恵仁和尚は中国(宋又は元)出身で、樵谷惟仙和尚が中国留学中に知り合ったとされやはり名僧として知られていました。鎌倉時代後期から幕府滅亡まで、塩田平は幕府執権北条家の有力一族である塩田北条氏が支配し、その庇護の下で寺運も隆盛していたと思われます。特に鎌倉建長寺の蘭渓道隆和尚と樵谷惟仙和尚は旧知の間柄で、建長寺と安楽寺は当時の仏教界を代表する寺院として大きな存在だったとされます。塩田北条氏は鎌倉幕府が滅びた際、本家北条氏の元に馳せ参じ運命を共にした事で、残された安楽寺は庇護者を失い次第に衰微しましたが、戦国時代の天正8年(1580)に高山順京が再興し臨済宗から曹洞宗に改宗しています。

現在の安楽寺八角三重塔は塔高18.75m、八角三重塔婆、初重裳階付、こけら葺、初代、2世が共に中国宋に縁がある事から安楽寺八角三重塔は中国宋時代の禅宗様(唐様)を採用、年輪年代調査により鎌倉時代後期の1290年代に建立されたと推定される建物で、時代背景から領主だった塩田北条氏が寄進したものと考えられています。江戸時代以前に建てられた現存する唯一の八角三重塔で禅宗様建築日本最古の建物ととして極めて貴重な事から、昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

安楽寺経蔵・八角輪蔵(上田市指定有形文化財)は寛政12年(1800)に建てられた当地方最大級の経蔵で宝形造、土蔵、内部には八角輪蔵を安置し黄檗版一切経が納められています。又、寺宝である嘉暦4年(1329)に制作された木造惟仙和尚坐像(中国で修行した後、当地で隠遁し安楽寺中興開山)と木造恵仁和尚坐像(2世:惟仙和尚の法嗣、中国の僧で日本に帰化)は大正12年(1923)に国指定重要文化財に指定されています。山号:崇福山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

安楽寺の境内周辺は鎌倉時代後期に塩田北条氏が支配した塩田平と呼ばれる地域で、安楽寺をはじめ、前山寺中禅寺北向観音などの社寺が点在し信州の鎌倉と呼ばれ多くの観光客が訪れています。

安楽寺の文化財
・ 八角三重塔−1290年代−塔高18.75m、八角三重塔婆、こけら葺−国宝
・ 木造惟仙和尚坐像−嘉暦4年−像高74.2cm、桧材、寄木造−国重文
・ 木造恵仁和尚坐像−嘉暦4年−像高75.1cm、桧材、寄木造−国重文
・ 経蔵・八角輪蔵−寛政12年−土造平屋、宝形造、銅版葺−上田市指定文化財

安楽寺:写真

安楽寺
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