【 尾台家住宅(下の問屋) 】−案内板によると「 明和9年(江戸時代1772年)の大火以降のもの。切妻造り、屋根は元板葺石置、3室続きの客間をそなえた良質の建物である。荷置場と問屋場には門の左右の建物を使用した。 」とあります。小田井宿問屋(尾台家住宅)は御代田町指定史跡に指定されています。
小田井宿の下の問屋は当初、本陣安川家の一族と思われる安川弥五左衛門家が担っていましたが江戸時代中期の宝暦年間(1751〜1764年)に尾台治部右門家が引き継ぎ、明治維新まで問屋職を歴任しました。現在の建物は明和9年(1772)の火災で焼失後に再建されたもので、木造平屋建て(一部2階建)、切妻、桟瓦葺き(元板葺石置)、妻入、長野県でよく見られる本棟造り、外壁正面は真壁造白漆喰仕上げ。長屋門の向かって右側の部分が荷置場、現在は失われていますが左側に物置と帳場が設けられていました。
詳細は判りませんが、「尾台」は小田井城の城主だった小田井氏に通じるものがあり、小田井家本家が没落した後に、一族が尾台姓と名乗り小田井宿の支配層になったのかも知れません。
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