安川八郎右衛門家(上の問屋)

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小田井宿(中山道)・安川家住宅
【 安川家住宅(上の問屋) 】−小田井宿は旅籠などの宿泊施設は少なかったものの、中山道の要衝として物資の集積地、中継地として重要された為、上問屋、下問屋の2軒の問屋が設けられ、半月毎に交代で行われました。その内、上問屋は小田井宿の本陣を歴任した安川庄右衛門家の分家筋にあたる安川八郎右衛門家がその職を担いました。問屋は、宿場の伝馬を支える重要な役職で、宿場間の物資の運搬で利用する馬や人足を常備手配する必要があり、宿場内でも実力者が就任しました(下問屋は尾台治部右衛門家)。岩田村藩内藤家との関係も深く伝承によると現在の主屋は内藤家の協力を得て再建された伝えられています。正式な旅籠ではなかったものの、度々宿泊や休息で利用され、複数の宿札が残されています。現在の建物(小田井宿問屋:安川家住宅)は享保から文化年間(1716〜1818年)に再建されもので、木造2階建て、切妻、鉄板葺き(元板葺き)、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、1・2階共に正面は格子戸、2階正面は1階の構造体を前に張り出し、支えとする出桁造りが採用されています。内部は問屋職を補佐する年寄や帳附、馬指の詰め所となる帳場(問屋場)、荷置場などが街道正面に配され、その奥に2列3室の6間取の座敷、正面向かって左側が土間となっています。現在の間取りは天保2年(1831)道中奉行に提出した当時と大きな差が無く、貴重な事から御代田町指定史跡に指定されています。

案内板によると「 江戸後期(享保・文化の頃)のもの。切妻造りで、屋根は板葺。天保2年(1831)道中奉行に差出した図面とほぼ変わりない旧状を呈し、荷置場・帳場・客室部・厠・土間などがよく保存されている。 」とあります。小田井宿問屋(安川家住宅)は御代田町指定史跡に指定されています。

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