中本社・概要

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新海三社神社・中本社

[ 新海三社神社 ]
新海三社神社・中本社概要: 中本社には新海三社神社の主祭神の興波岐命(新開神)の父神である建御名方命を祭っています。何故、新海三社神社に建御名方命を祭っているのかについては諸説ありますが、一説には新海三社神社を佐久郡三庄三十六郷の惣社とする為、伴野庄の鎮守である英多神社、平賀庄の鎮守である長倉神社、大井庄の鎮守である大伴神社を合わせ祭ったとの説があります。しかし、それぞれの祭神を見ると英多神社の祭神は新海三社神社の中本社で祭られている建御名方命、長倉神社の祭神は西本社の相殿で祭られている誉田別命ですが、大伴神社の祭神は中本社で祭られている事代主命では無く、天忍日命なので上記の説にはやや疑問が生じます。少し調べると、佐久市と群馬県下仁田町の境に聳える荒船山を信仰の対象とした荒船山神社があり、その奥宮に事代主命が祭られていたとの説があります。そして荒船山は古代インド国の姫が降臨した地で、その姫こそ新海三社神社の主祭神である興波岐命の母神で、貫前神社の祭神である荒船明神(姫大神・貫前神)とする説があります。以上の事から察すると、新海三社神社は英多神社、長倉神社、大伴神社の祭神を勧請合祀された神社では無く、元々は主祭神として興波岐命、配祀として父神の建御名方命、母神の荒船明神が祭られていたものの、荒船明神は言わば側室的立場だった為、正室的存在の八坂刀売神の思いを忖度し荒船明神に縁がある荒船山神社奥宮に祭られている事代主命を勧請したとも考えられます。又、古代には信濃国と上野国との間に激しい戦があり千曲川が血で染まったとの伝説もあり、戦が終わった後に友好の意味を込めて両国の一宮の祭神と御子神を祭る神社が求まれたとも、上野国の豪族の姫が当地の豪族に嫁いだとも、上野国からの入植者と現地の人々の両者を当地を開拓したとも考えられます。中本社(本殿)は江戸時代中期の17世紀末から18世紀初頭頃に造営されたもので(元禄12年:1699年の請負証文と、元禄13年:1700年の軒札有)、一間社流造、銅板葺、平入、木部朱塗り、彫刻部極彩色、棟梁は田野口村出身の佐兵衛、平成14年(2002)3月6日に佐久市指定文化財に指定されています。
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写真1:大鳥居 写真2:参道の石段 写真3:拝殿 写真4:西本社・中本社 写真5:西本社 写真6:中本社 写真7:神楽殿 写真8:東本社
写真9:神楽殿・拝殿 写真10:三重塔 写真11:三重塔(俯瞰) 写真12:西幸殿 写真13:東幸殿 写真14:荘厳な参道の石段 写真15:東本社正面 写真16:神橋越に見える三重塔

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