佐久市(歴史)概要: 佐久市は古くから開けていた地域で平安時代には既に官営牧場である望月牧が開かれ、朝廷に多くの名馬を献納していました。望月牧には京都まで続く東山道が通り、周辺には当時の名残である御馬寄、駒寄、駒込、鍛冶田、吹上などの地名や古墳の副葬品(馬具)、神社が残り信濃国最大の牧場だったことを物語っています。その後、佐久市周辺は望月牧を管理した滋野氏から分派した海野氏や望月氏、小笠原家の血筋である大井氏が支配、特に大井氏の拠点となった岩村田は繁栄を極め多くの寺院や神社が集められたと言われています。戦国時代に入り武田信玄が佐久地方へ進軍すると大井氏は滅亡し、中心地も岩村田から小諸へ移されます。
江戸時代に入り街道の整備が進むとこの地には岩村田宿が開かれ中山道、佐久甲州街道、善光寺道、下仁田道の分岐点として多くの物資が集められましたが本陣が設けられず、有力寺院が大名家の休息所として利用され、旅籠も8軒と比較的少ない宿場町でした。元禄16年(1703)に内藤氏が1万6千石で入封し岩村田藩を立藩、7代藩主内藤正誠は名君として知られ日光祭礼奉行・奏者番・寺社奉行などを歴任し城主格に出世しています。
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