皇足穂命神社(長野市旧中条村)概要: 皇足穂命神社の創建は不詳ですが延長5年(927)に編纂された延喜神明帳に記載されている式内社白玉足穂命神社と論じられる神社です。神功皇后が三韓出征の際、諏訪大社から分霊を勧請し相殿として祭るようになったとも云われています。ただし、神功皇后が実在の人物かは不詳で、三韓出征も行われたのかも不詳、モデルとなった人物や事象があったかも知れませんが当社とは関係が薄いようです。古くから広く信仰され今栄、青木、奈良井、伊折地、京原、千納村の産土神として祭祀が行われ、中世には領主だった春日淡路守に庇護され天文2年(1533)には社殿を寄進しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治6年(1873)に郷社に列しています。
現在の皇足穂命神社本殿は寛文5年(1655)の火災後の寛文10年(1670)に再建されたもので、一間社流造、こけら葺で合際している諏訪神社本殿(皇足穂命神社本殿と同様式)とともに、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和58年(1983)に長野市(旧中条村)指定有形文化財に指定されています。拝殿は弘化4年(1847)の大地震により倒壊後の安政4年(1857)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。祭神:倉稻魂命、健御名方命、事代主命。配祀神:誉田別命、気長足姫命。合祀神:月読尊、天照大御神、健御名方命、軻遇突智命、金山彦命、三峰大神、十二天白神、大物主命、手力雄命、大山祇命、伊弉册命。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-長野市教育委員会
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