小根山小川神社

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概要・歴史・観光・見所
小根山小川神社概要: 小川神社は長野県上水内郡小川村大字小根山に鎮座している神社です。小川神社の創建は不詳ですが住民が健御名方命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。天武13年(684)に領主となった酒人小川眞人が崇敬し、清和天皇(第56代天皇・在位:天安2年858年〜貞観18年876年)の御代に当地が小川の庄と呼ばれるようになった事から、当社を小川神社と称するようになったのかも知れません。

伝承によると酒人小川眞人の後裔が小川氏を称し、篤く当社を庇護したとありますが、酒人氏は日本書紀によると継体天皇と広媛(根王の娘)との皇子である兎王の後裔とされる氏族で近江国上坂郷を本貫とし、近江国高島郡小川(滋賀県高島郡安曇町小川)を領した事から小川姓を名乗ったとされ、当地とは関係が無かったようにも感じます。

一方、中世当地を支配した小川氏は、水野氏庶流で三河国小川苅谷(現愛知県知多郡苅谷町)を本貫とし地名から小川姓を名乗った氏族であって酒人小川眞人とは全く関係が無いと思われます。南北朝時代の当主だった小川左衛門貞綱に南朝方に与したものの、南朝暦元中9年・北朝暦明徳3年(1392)無実の罪で三河国を追われ当時最勝寺領だった当地に配され、居城となる布留山城を築いたとされます。三河国出身の小川氏は貞綱、綱義、定縄3代78年間当地を支配し、小川神社も大いに栄えたそうです。

小川神社は延喜5年(905)に天神地祇3132座のうちの一座に名を連ね、延長5年(927)に編纂された延喜神明帳には式内社として記載されている事から、小川庄は皇室の荘園だったことから広く知られていた存在だったのかも知れません。応仁2年(1468)、村上顯國の侵攻により顯國に従った香坂安房守、大日方弾正忠長政に攻められ布留山城は落城、小川氏は三河国に逃れた為、それ以降は大日方弾正忠長政が領主となり、当社も小川氏時代の庇護を失ったと思われます。戦国時代以降は再び領主から崇敬の対象となり再興が図られています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治6年(1873)に村社、大正6年(1917)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されています。

現在の小川神社本殿は18世紀後期に建てられたと推定されるもので一間社流造、小板葺、総欅造、建物全体に若葉文様や龍など繊細な彫刻が施されています。小川神社本殿は江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和46年(1971)に小川村指定有形文化財に指定されています。小川神社が所有する「小根山の大杉」は推定樹齢600年、樹高33m、目通り幹周5.9m、根回り9.6m、貴重な事から昭和36年(1961)に小川村指定天然記念物に指定されています。又、例祭では北信濃最大の御柱祭りが行われます。主祭神:健御名方命。相殿神:大己貴命、言代主命。

小川神社:写真

小川神社
[ 付近地図: 長野県小川村 ]
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