麻績神明宮概要: 麻績神明宮の創建は平安時代末期の長暦2年(1038)、周辺一帯が麻績御厨と呼ばれる伊勢神宮内宮(皇大神宮:三重県伊勢市)の荘園(荘園の成立としては8世紀初頭と推定されます。)だったことから神領の惣社として伊勢神宮の分霊(天照大御神)を勧請したのが始まりと伝えられています。
信濃国(現在の長野県)には多くの御厨が設けられましたがその中でも麻績御厨は規模が大きく中心的な役割を持ていたとされ室町時代に入っても数々の神饌が伊勢神宮内宮に調進されていました。
社運も隆盛し大日如来懸仏や薬師如来懸仏、鰐口(何れも麻績村指定文化財、当時は神仏習合していたようです。)などが寄進されましたがその後庇護も無くなり次第に衰微しました。
戦国時代になると当地の領主となった服部清信、青柳頼長、江戸時代には歴代松本藩主(松本城の城主)などが庇護し社領の寄進や社殿の造営などが行われ再び隆盛しました。
享保16年(1731)には麻績組10ヶ村が、松本出身の何右衛門、作十郎が製作した寄棟造、極彩色豊かな神輿(檜材、全長164cm、柱長85cm、麻績村指定文化財)を寄進しています。
古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により郷社に列し神社として独立、旧麻績村、坂井村、日向村の総鎮守社として周辺住民から篤く信仰され、現在も社宝として大日如来懸仏や薬師如来懸仏などを所有するなど神仏習合時代当時の名残が見られます。
境内には神楽殿と舞台がありますが通常兼用する場合が多く麻績神明宮のように神事と娯楽と明確に分けることによってより神格化させようとしていたのかも知れません。又、本殿左側に独立して仮殿が建てられているのも珍しく、古くから住民が御際神に大して畏敬の念を持っていたと思われます。
麻績神明宮の社殿も江戸時代中期に建てられた古建築が多く本殿、仮殿、拝殿、神楽殿、舞殿の5棟が大変貴重な事から平成5年(1993)に国指定重要文化財に指定されています。
麻績神明宮の文化財
・ 本殿-貞享元年(1684)-三間社神明造,切妻,銅板葺,平入-国指定重要文化財
・ 仮殿-宝暦10年(1760)-三間社神明造,切妻,銅板葺,平入-国指定重要文化財
・ 拝殿-天保11年(1840)-切妻,銅板葺,桁行3間,梁間3間-国指定重要文化財
・ 神楽殿-元禄11年(1698)-切妻,鉄板葺,桁行3間,梁間3間-国指定重要文化財
・ 舞台(舞殿)-天明3年(1783)-寄棟,鉄板葺-国指定重要文化財
・ 古文書-青柳頼長寄進状(外2)-天正12年(1584)他-麻績村指定文化財
・ 神輿-享保16年(1731)-檜材,寄棟,全長164p-麻績村指定文化財
・ 大日如来懸仏-金剛界:高7.0p・胎蔵界:高11.2p-麻績村指定文化財
・ 薬師如来懸仏-鎌倉時代以降-総高7.9p-麻績村指定文化財
・ 鰐口-鎌倉時代以降-径34.0p,厚6.0p-麻績村指定文化財
・ 鉄製釣鐘駕籠-鎌倉時代以降-麻績村指定文化財
・ 大杉-推定樹齢800年、樹高31m,幹周7.2m-麻績村指定天然記念物
|