【 概 要 】−福島関所(長野県木曽郡木曽町福島)は慶長7年(1602)に中山道(木曽路)が正式に開削すると整備されました。福島宿は木曽路11宿の中間にあたり、中山道全体を見ても、中間地点に近い交通の要衝だった事から設置場所に選ばれたと思われます。又、中世長く木曽谷を支配していた木曽氏は当地に居城である福島城を築き拠点とし、江戸時代に木曽代官となった山村氏も福島宿に代官所を構えるなど行政的にも福島宿は木曽谷の中心地でした。江戸幕府は奥州街道、日光街道、甲州街道、中山道、東海道を五街道として重点的に整備しましたが、特に中山道と東海道は江戸と京都を結び、参勤交代で利用する大名が多かった為に厳重に管理し、福島関所は東海道の箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根)、新居関所(静岡県湖西市旧新居町)、中山道の碓氷関所(群馬県安中市松井田町横川)と共に日本四大関所の1つに数えられ、人物改めや荷物改めが徹底的に行われました。福島宿は木曽谷の中でも谷が一番狭い場所で、さらに片側の断崖沿いに設けられた事から、関所抜けが出来にくく、管理や取締りがやり易い位置にだったとされます。東西45m、南北30mの敷地内には上番所、下番所、侍控え室、家中屋敷、東門、西門、塀などが設けられ、関守は木曽代官である山村家が代々管理運営を行っていました。明治2年(1869)に明治政府の命により全国の関所が廃止になった事に伴い、福島関所も同時期に廃止になり、施設等は残されたままでしたが、明治28年(1895)に解体されています。福島関所跡は江戸時代の交通政策の遺構として大変貴重な存在である事から昭和54年(1979)に国指定史跡に指定されています。現在は、史跡からやや離れた場所に福島関所資料館として復元され、関所や福島宿の資料などが展示され周辺は史跡公園として整備されています。
福島宿・名所・見所:大通寺・福島宿本陣・興禅寺・福島関所・高瀬家資料館・長福寺・山村代官屋敷
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