福島宿(木曽路)・大通寺

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福島宿(木曽路)・大通寺

【 概 要 】−大通寺(長野県木曽郡木曽町福島)は江戸時代に入った福島宿(木曽路)・大通寺慶長7年(1602)、木曽2代目代官山村良勝が柱山和尚を招いて創建された寺院です。山村良勝は木曽谷を長く領していた国人領主木曽氏の家臣で、天正18年(1590)、主家である木曽義昌が下総国海上郡阿知戸領(現在の千葉県旭市)の移封に随行し木曽谷を離れましたが、跡を継いだ木曽義利が慶長5年(1600)に改易になった為、浪人の身となり、その際、山村家を助けたのは柱山和尚とされます。同年、関ヶ原の戦いの際、山村父子が木曽路(中山道)を進軍する徳川秀忠率いる徳川本隊の道案内を行った事により、父親である山村良候が木曽代官に抜擢され、翌年良候が死去した事で良勝が2代目を就任し、大恩あった柱山和尚を当地に招きました。良勝の正室も柱山和尚を篤く帰依し、大通寺創建に大きく寄与した事から、死後の戒名は寺号と同じ「大通寺殿炎山宗梅大姉」が与えられ、大通寺過去帳の一番最初に記入されています(大通寺の境内は木曽義昌の屋敷跡で、その後、良勝の正室の弟とされる小笠原内蔵助の屋敷として与えられ、その屋敷を大通寺に寄進したとも云われています)。天和2年(1616)に火災により焼失、承応3年(1654)に北傳和尚の尽力により再興を果たし、寛文4年(1664)には山村新左衛門忠清と森田佐右衛門眞道が梵鐘を寄進しています。又、旧主家だった木曽義昌の正室で武田信玄の娘である真理姫は木曽家が改易後に木曽谷に戻り三岳村(現在の長野県木曽郡木曽町三岳)隠遁生活を行ったとされ、正保4年(1647)に享年98歳で亡くなると、山村家と浅からぬ縁だった事から大通寺境内に供養塔が建立されました。山門は江戸時代中期の安永7年(1778)に造営された楼門形式の鐘楼門で、木曽町最古の木造建築物として貴重な事から木曽町指定有形文化財に指定されています。

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