木曽義在

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人 物 名
備 考
・木曽義在・木曽義在は木曽義元の嫡男とされ永正元年(1504)に義元が死去すると家督を継いだと思われます。資料通りだと義在は明応2年(1493)に生まれている事から、家督就任時は11〜12歳だったとされます。当然、政務が採れるはずも無く、成人に達するまで叔父とされる義勝が補佐していたそうです。記録上は大きな領内での大きな戦は行われいませんが永正6年(1509)に上之段城(長野県木曽郡木曽町)を築き、今まで居城だった須原城(長野県木曽郡大桑村須原宿)から大きく北進を果たした事になります。当時の室町幕府の足利将軍家とも関係が良好だったようで永正10年(1513)には第10代将軍足利義稙の命により近江国醒ケ井(滋賀県米原市醒井)まで従軍し六角高頼と戦っています。天文元年(1532)に専念寺(長野県塩尻市奈良井)を創建し、翌年の天文2年(1533)には領内の現在の中山道(木曽路)の原型となる街道整備に伴い、一説には洗馬宿(長野県塩尻市洗馬)から馬籠宿(岐阜県中津川市山口)までの宿駅を成立させたとされ、それを信じれば、木曽谷一円を掌握していた事になります。天文23年(1554)には御嶽神社の再建や鰐口を奉納している事からも義在の時代には積極的に周辺領主との交戦は避け、領内の充実を図っていたと考えられています。又、玄長天桂和尚(慈雲寺住職)との関係があり永禄元年(1558)には「英山宗雄大居士者木曽義仲之後裔也就余需立号廼摘 英山両字授之且復製拙偈一篇以解厥義云爾 一千人裏一先鋒 若論威風雲際竜 圧倒漢家三傑去 衝天気宇剣鋩峰 永禄元年戊午臈月吉萱 前妙心天桂老衲書焉沼」の道号を賜っています(定勝寺所有。縦149.5cm、横37.0cm、大桑村指定文化財)。義在は天文11年(1542)に嫡男木曽義康に家督を譲り、永禄元年(1558)に死去しています。
・定勝寺定勝寺の寺宝として木曽義在像と書英山を所有し大桑村指定文化財に指定されています。天文16年(1547)に書状発布。天文18年(1549)11月17日に鋳造した梵鐘を寄進(大檀越源朝臣義在の銘)。
・須原城・義在の居城で、現在の定勝寺の境内には居館が設けられていたと推定されてます。
・上之段城・永正6年(1509)に義在によって築かれ、須原城と併用されたと推定されています。
・専念寺・天文元年(1532)に専念寺(長野県塩尻市奈良井)を創建。
・御嶽神社・天文23年(1554)に義在・義康父子によって黒沢口に鎮座する御嶽神社(木曽黒沢安気大菩薩)を再建。その際、父子は鰐口を奉納し現存しています。
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木曽路・人物一覧
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