小内八幡神社

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概要・歴史・観光・見所
小内八幡神社(中野市)概要: 小内八幡神社は長野県中野市安源寺字石原に鎮座している神社です。小内八幡神社の創建は貞観年間(859〜877年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社小内神社とされ古くから広く信仰を集めてました。小内八幡神社の神官である片山家は六川(小布施町)で神官を担っていたと伝えられ、当社は高井郡に鎮座した小内神社の論社とされます。現在、六川(小布施町)に隣接する上高井郡小布施町都住に鎮座する鼬エ神社も同じく論社とされる事から関係性が窺えます。もう一社の論社である長野市若穂綿内に境内を構える小内神社は妙徳山頂に白鬚明神を勧請し創建した神社で寛永3年(1624)に現在の社号に改めたとされます。片山家は中世に入ると領主である高梨氏に従い、その命により現在地である安源寺に遷座しています。

小内八幡神社は歴代領主からも崇敬され中世周辺を支配した高梨頼親(居城:高梨氏館)は小内八幡神社に対して社領の寄進などを行い領内筆頭神社として庇護したことが"社家片山文書(中野市指定有形文化財)"に書かれています。それによると永禄4年(1561)に川中島合戦により境内が荒廃した際、天正10年(1582)に高梨頼近が社領10貫を寄進、さらに天正17年(1589)に社領100貫を寄進し社殿が再建されています。その後も高梨氏の庇護により繁栄しましたが、慶長2年(1597)に上杉家に従っていた高梨頼親が上杉景勝(春日山城の城主)の勘気に触れ改易となり庇護者を失っています。

江戸時代に入ると飯山藩(藩庁:飯山城)の藩主から庇護され寛文5年(1665)には藩主である松平忠倶が社殿の造営し伝統ある「馬市」を再興しています。中野周辺が天領になると歴代代官が小内八幡神社を庇護し、安永年間(1772〜1781年)の馬市の際には中野天領陣屋から紋幕や高張提灯などが貸与され、足軽が警備の為に派遣され「御幕の市」と呼ばれるようになっています(馬市は昭和30年:1950年に廃止)。中世以降は庄内八幡宮と称していましたが寛延3年(1750)に吉田家から小内八幡の社号を得て、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社に列しています。祭神:応神天皇、大気都姫神、神功皇后。

現在の小内八幡神社本殿は寛文5年(1665)に建てられたもので案内板によると「 本殿は、桁行319センチ 梁間210センチ 向拝418センチの三間社流造で、江戸時代前期の建築である。母屋は円柱で、縁長押・内法長押・頭貫・台輪をつけている。正面3間に黒漆塗の両開きの板唐戸を取り付け、両側と背面の二方は板壁とし、白く塗彩した上に、猿・兎・菊・菖蒲の絵を描いているが剥落がはげしい。 組物は出三ツ斗で中備には本蟇股があって松・桃・蓮の彫刻がある。軒は二軒繁垂木である。向拝柱は角柱の面取りで、頭貫を通し、組物は出三ツ斗で中備には本蟇股をおき彫刻は牡丹と唐獅子である。屋根は板葺きで、棟の両側に鬼板をつけている。 ・・・(後略) 中野市教育委員会」とあります。小内八幡神社本殿は江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成4年(1992)に中野市指定有形文化財に指定されています。

又、例祭で奉納される小内八幡神社青獅子(寛文5年の社殿完成時に旅芸人から教わった江戸神楽)が昭和47年(1972)に中野市指定無形民俗文化財に、鳥居から続く参道の両脇の社叢(約300mの参道の両側にケヤキの巨木が10数本で並木を形成しています)が平成5年(1993)に中野市指定天然記念物にそれぞれ指定されています。小内八幡神社は小林一茶が訪れた事があり、訪れた当日が例祭で遠近から多くの群集が集まり賑っていた事が記録されていて、境内には文化4年(1807)に詠んだ「艸花をよけて居るや勝角力」の句が刻まれた小林一茶句碑が建立されています。随神門(神社山門)は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り。拝殿は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺、平入、桁行5間、梁間2間、外壁は真壁造り板張り。

小内八幡神社(本殿・随身門):写真

小内八幡神社参道に設けられた木製鳥居
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大木が並ぶ雰囲気がある小内八幡神社の参道 小内八幡神社参道沿いにある木製神橋と覆い屋 小内八幡神社境内正面の随身門と石造狛犬 小内八幡神社随身門から見た境内の様子
小内八幡神社参道石畳みから見た拝殿正面 小内八幡神社右斜め前方から撮影した社殿全景画像 小内八幡神社本殿覆い屋と幣殿 小内八幡神社境内に設けられた小林一茶句碑


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