中野市(歴史)概要: 中野市は中世、信濃源氏井上氏の血族とされる高梨氏の本拠だった場所です。高梨氏は平安時代から続く名家で源平の合戦後は御家人となり、南北朝では北朝に組した事で勢力が拡大し善光寺平北部から越後の一部を含む領地を支配しました。戦国時代初期に最盛期を迎え高梨氏館に本拠を移すと独自の文化圏を形成しましたが村上氏との対立から次第に衰退し、武田氏の信濃侵攻により越後に落ち延びています。その後、武田氏が滅亡すると織田家家臣森長可が一時支配しますが本能寺の変の後上杉景勝が南下し従属していた高梨氏が復権します。
江戸時代は天領となり慶安3年(1650)に中野代官陣屋築かれ、享保9年(1724)には中野周辺にあった代官陣屋が中野陣屋に集約され5万石統治する信州随一の天領陣屋となりました。明治元年(1868)に中野陣屋が廃止されると伊那県中野分局が置かれ、明治3年(1870)に中野県が成立すると県庁が置かれました。しかし、同年に中野騒動が勃発し施設は焼失、新庁舎建設前に中野県庁は廃止となりました。
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