中野市: 高梨氏館

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概要・歴史・観光・見所
高梨氏館(中野市)概要: 高梨氏館は長野県中野市小舘に位置しています。高梨氏館は永正10年(1513)に当地域を掌握した高梨氏が永正12年(1515)に築城したの始まりとされます。高梨氏は頼季流信濃源氏(源頼信の3男源頼季を祖)を祖とする北信濃の有力国人領主で当初は善光寺周辺を支配していましたが、戦国時代には当地域を領していた中野氏を滅ぼし北進しました。館は高梨氏の居館跡と推定され、内部は当主や一族の日常生活や、有力者達との接待場、領内を治める為の行政施設などが設けられていた思われます。その為、利用し易いように平地に築かれ、戦闘にはあまり向いていない構造で背後の鴨ヶ嶽城や鎌ヶ嶺城が詰城として機能していたと思われます。

高梨氏館の規模は東西約130m、南北約100mで周囲を高い土塁と空掘りによって囲んだもので3箇所の土橋が設けられ一部腰巻石垣が見られ、内部は領主居宅や会所(客殿)など礎石建物跡5棟、掘立柱建物7棟の施設があったとされ、中世豪族の居館に見られる庭園跡も発見されています。現在発見されている中では北信地域最大の居館跡で特に長野県内では中世の居館内部に設けられた庭園が発見される事例が極端に少ない事から当時の高梨氏の繁栄と、京都などの中央や有力大名の庭園文化などを意識した事などが窺えます。

高梨氏館庭園は案内板によると「 ・・・池の東南部には大きな石を中心とする滝の石組があり、庭の主体部を形成している。池の護岸は大小の山石や川原石で固められている。汀には岬が少し突き出ており、池の中に岩島が見られる。導水路・排水路の跡が残っているので、当初は池泉形式の庭園であったが、のちに枯山水風に変えられたものと考えられてる。・・・中野市 中野市教育委員会 」とあります。高梨氏は豪族として中世独立した国人領主でしたが、戦国時代に入り武田家の信州侵攻が始まると越後の上杉家と血縁関係を結ぶなど従属し一時越後に退去、武田家が滅びると当地に復権するも慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命により上杉景勝が会津(福島県会津若松市)に移封されると随行し高梨氏館は廃城になったと考えられています。現在の高梨氏館跡は土塁や空掘りの形状がよく残り、長野県唯一の中世館内部の庭園が発見されていることから平成19年(2007)に国指定史跡に指定され"高梨館跡公園"として整備されています。

高梨氏館:写真

高梨館
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