玄照寺(小布施町)概要: 陽光山玄照寺は長野県上高井郡小布施町大島に境内を構えている曹洞宗の寺院です。 玄照寺の前身は随光寺という臨済宗の寺院でしたが中世に衰退し天正年間(1573〜1591年)に加藤杢右エ門(武田信玄の家臣の高坂弾正虎綱の家臣)が明徳寺(長野県長野市松代町)から岸慶祐和尚を招き曹洞宗の寺院として改宗開山したのが始まりと伝えられています。当初は千曲川河畔の飯田にありましたが元禄17年(1704)に水害の被害を避ける為現在地に移りました。
玄照寺三門は案内板によると「 寛政11年(1799)建立。禅宗寺院の特徴である楼門形式で、桁行3間、梁間2間。上層の屋根は入母屋、下層は四柱屋根で、桟瓦葺である。下層は仁王尊を安置し、上層には須弥壇がある。建築の様式は、一部に唐様(禅宗様)の手法をとり入れた和様でまとめており、全体にこの時代の様式を反映している。特に蟇股にほどこされた竜、唐獅子、人物の彫刻がすぐれている。また、背面側に三間の虹梁を用いており、一般の三門にはない手法である。 小布施町教育委員会 」とあります。玄照寺三門(楼門)は江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に小布施町指定の町宝に指定されています。
玄照寺本尊である清涼寺様式木造釈迦如来立像は鎌倉時代末期から室町時代初期頃に彫刻されたもので、桧材(頭部は桂材)、寄木造、像高163cm、総高250cm、長野県内唯一の清涼寺様式の釈迦如来像として貴重である事から平成20年(2008)に小布施町の町宝に指定されています。現在の本堂は明治29年(1896)の火災で焼失した事を受け大正年中(1920〜1924年)に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行9間、正面3間向拝付。北信濃十三仏霊場第2番札所。山号:陽光山。宗派:曹洞宗。本尊:清涼寺様式釈迦如来像。
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-小布施町教育委員会
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