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旧園里学校(須坂市)概要: 旧園里学校校舎は長野県須坂市豊丘 に位置している擬洋風学校建築(近代洋風建築)です。旧園里学校は明治5年(1872)に施行された学制を受け、明治6年(1873)に小山村止善学校の支校として開校したのが始まりです。当初は元々あった地蔵堂を校舎として利用しましたが、明治10年(1877)11月5日に火災で焼失した為、観音堂を仮校舎として利用しています。明治11年(1878)に小山村止善学校から分離独立して「競進学校」として改めて開校し、明治12年(1879)に平屋建て40坪の校舎が建設されています。
当時の園里学校の学区には就学年齢に達した子供は109名を数えましたが、実際に入学したのは51人に過ぎず明治時代初期の農山間部ではまだまだ就学率が低い時代でした。
明治15年(1882)に新学制小学校令が発令され、競進学校から園里村立園里学校と改名しています。
明治16年(1883)に生徒の増加に伴い、校舎の新築が図られ、当建物が建てられています。
その後、明治18年(1885)に須坂学校園里支校、明治22年(1889)に小山学校園里支校に改称しています。
さらに、明治25年(1892)に園里尋常高等小学校に改称、明治34年(1901)に高等科を併置しています。
昭和4年(1929)に新校舎が建築された為、その後は豊丘村役場や須坂市福祉企業センターなどに利用されています。
平成4年(1992)に復元修復工事が行われ、平成5年(1993)に園里郷土資料館として改めて開館しています。
旧園里学校校舎は、木造2階建て、寄棟、平屋の付属舎は切妻、桟瓦葺き、桁行9間、梁間3間半、1階床面積32.72坪、1階付属舎床面積8.1坪、2階床面積32.56坪。
外壁は大壁造り白漆喰仕上げ、六角塔屋だけが真壁造りにして正面性を演出しています。
六角塔屋は時間を教える太鼓が備え付けられていた事から太鼓楼と呼ばれていましたが、現在は前身である地蔵堂の延命地蔵尊が祀られています。
縦長の上げ下げ窓の採用や、鎧戸、隅石、玄関ポーチ、円柱、柱飾、ポーチ上部の六角塔屋など当時に洋風建築の要素を取り入れています。
一方、棟止瓦や鬼瓦、大斗、虹梁など伝統的な日本建築の要素も随所に見られます。
又、外壁の1階と2階の間には小庇を設けて、土蔵風に土壁を塗り上げ重厚な印象を与えています。
旧園里学校校舎は明治時代初期に建てられた学校建築で擬洋風の様式が分かる遺構として貴重なことから平成5年(1993)に須坂市指定有形文化財に指定されています。
旧園里学校校舎に隣接する"延命地蔵堂の桜"は当時の名残を残すもので推定樹齢400年、樹高12m、幹周5.6m、枝張東西13m、須坂市随一の巨木桜として貴重な事から昭和47年(1972)に須坂市指定天然記念物に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-須坂市教育委員会
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