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田中本家(須坂市)概要: 田中本家は須坂を代表するような豪商で、長野県須坂市穀町に屋敷を構えています。
初代田中新八は、江戸時代中期の元禄12年(1699)に仁礼村西原(現在の須坂市南部)の農家である傳右衛門の次男として生まれました。
新八は16歳の時に当地の豪商だった牧七郎右衛門家の奉公人となり、20年間にわたり牧家で研鑽を積みました。
享保18年(1733)に新八は牧家から独立、小山村上新田(現在の須坂市穀町)に300坪程の屋敷を買い取り、商売を始めました。
須坂藩(藩庁:須坂陣屋)とは関係が深く、延享2年(1745)には藩の御用達商人となり、藩の借用金である御用金を命じられています。
当初は菜種油や煙草の出荷などを生業としていましたが、宝暦10年(1760)からは須坂藩の年貢米を販売する穀物問屋、明和元年(1764)からは酒造業を始めています。
明和2年(1765)に新八が死去すると2代当主新十郎信房が家督を継ぎ田中家の基盤を確立、明和6年(1769)には多大な須坂藩への貢献から苗字を名乗る事を許されています。
安永8年(1779)には種貸役格、二十人扶持の士分、天明2年(1782)には代官格となり、寛政6年(1794)には田中家の「家訓家定書」を記しています。
3代新十郎信厚の頃には農業をはじめ、酒造、油手絞り、質貸、小間物、穀物、煙草などを家業とし、須坂藩御用達の筆頭に抜擢されています。
須坂藩の御用金も膨大し、文化元年(1804)には士分格となり、文化6年(1809)には広間格、十人扶持に抜擢され北信濃屈指の豪商・豪農として成長します。
文政6年(1823)に須坂藩の御用金を辞退すると一転し冷遇された為、衰微しましたが、天保11年(1840)に5代目新十郎信秀が復権を果たし、広間格を認められています。
さらに、天保12年(1841)には広間本席、七十石、士分格となり須坂藩の財政改革に尽力しています。
特に、須坂藩が要人を招いた際には、接待役を担い、万延元年(1860)には物頭格、百石、二人扶持に昇格しています。
明治3年(1870)に発生した須坂騒動に巻き込まれ、江戸時代後期に建てられた酒蔵以外の屋敷内にあった多くの建物が打ち壊しとなり、大きな被害を受けています。
敷地面積3000坪の中には池泉廻遊式庭園を囲むように、須坂騒動以降に再建された主屋、客殿、土蔵など20棟の建物が軒を連ね当時の様子を現在に伝えています。
現存する旧主屋、おかる二階、客殿、湯殿、中二階、表門、土蔵、西之蔵、隅土蔵、文庫蔵、味噌蔵、新土蔵、水車蔵、籾土蔵、釜場蔵、酒蔵、蓮池蔵、東土蔵、内塀及び門、東及び北土塀、以上20棟の建物は貴重な事から平成19年(2007)に国登録有形文化財に登録されています。
現在は「豪商の館 田中本家博物館」として創業当時から昭和初期までの田中家代々の生活品や収集した所蔵品が展示されています。
田中本家博物館の建物(国登録有形文化財)
・ 旧主屋-木造平屋一部2階建,瓦葺,建築面積200u
・ おかる二階-土蔵造2階建,切妻,瓦葺,東と北下屋庇付,建築面積80u
・ 客殿-木造平屋建,入母屋,瓦葺,建築面積120u,棟梁:須原出身の原田寅吉
・ 湯殿-木造平屋建,入母屋,瓦葺,南面下屋庇,建築面積20u
・ 中二階-木造2階建,切妻,瓦葺,東と西には高欄付縁と小庇付,建築面積43u
・ 門土蔵-土蔵造平屋建,切妻,瓦葺,桁行約10m,建築面積44u
・ 西之蔵-土蔵造2階建,切妻,瓦葺,桁行約9m,建築面積124u
・ 隅土蔵-土蔵造平屋建,寄棟,瓦葺,白漆喰仕上,建築面積33u
・ 文庫蔵-土蔵造3階建,瓦葺,西:入母屋造,東:切妻造,桁行14.5m,建築面積80u
・ 味噌蔵-土蔵造平屋建,切妻,瓦葺,白漆喰仕上,建築面積34u
・ 新土蔵-土蔵造2階建,切妻,瓦葺,桁行約14m,建築面積67u
・ 水車蔵-土蔵造2階建,切妻,瓦葺,桁行約22.5m,建築面積103u
・ 籾土蔵-土蔵造平屋建,切妻,瓦葺,桁行約14m,建築面積108u
・ 釜場蔵-土蔵造平屋建,切妻,瓦葺,越屋根付,建築面積56u
・ 酒蔵-土蔵造平屋建一部2階建,切妻,瓦葺,桁行約31m,建築面積291u
・ 蓮池蔵-土蔵造平屋建,切妻,瓦葺,桁行約28m,建築面積153u
・ 東土蔵-土蔵造平屋建,切妻,瓦葺,桁行約12m,建築面積40u
・ 表門-木造,切妻,瓦葺,間口10m
・ 内塀及び門-木造,瓦葺,延長40m
・ 東及び北土塀-木造,瓦葺,延長80m
長屋門を簡単に説明した動画
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