旧下嵯峨屋

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概要・歴史・観光・見所
旧下嵯峨屋(妻籠宿)概要: 旧下嵯峨屋は妻籠宿の中央に配された枡形近くに位置しています(長野県木曽郡南木曽町寺下)。旧下嵯峨屋は江戸時代中期に三軒長屋として建てられた建物で江戸時代は妻籠宿で木賃宿を営んでいました。木賃宿とは江戸時代に幕府が正式に許可する旅籠より格式が下がる宿の事で宿泊費が安い分施設も一般的な旅籠建築と比べると小規模で、さらに仕上げや意匠も質素を通り過ぎ粗末な印象を受けます。実際、旅籠に宿泊出来な庶民が雑魚寝し、食事も携帯食を持ち込み自分で料理するのが一般的だったようです。規模が小さい事からも現在の住宅事情に鑑みて大きく劣る事から殆どの木賃宿は建て替えられる例が殆どで、旧下嵯峨屋のように当時の姿を留めている遺構は貴重な存在と言えます。

旧下嵯峨屋の建物は木造平屋建、切妻、平入り、板葺き石置き、桁行3間(5.46m)、梁間5間(9.1m)、外壁は真壁造り土壁鏝押え、大屋根の軒は低く、庇を大きく前に出し椀木によって支えられ、外壁は真壁造り土壁、内壁も略外壁と同じような仕上げで天井が無く、構造材がむき出しになっています。開口部はしとみ戸、出入口は大戸、基礎は土間に直接土台を廻し、その上に床を組上げています。内部は天井が無く、間取りは並列二間取の形式で、向って左側が土間(通り庭)で建物最奥まで続き、右側の手前が囲炉裏付きの板間(12帖)、その奥に畳敷きの8畳間、湯殿は無く、雪隠は外部に設けられていたと思われ小規模な町屋の生活がうかがえます。上嵯峨屋と比べると、一見同じように見えますが、仕上げや、間取り、工法など明らかに質素な造りで、上嵯峨屋は本賃宿として利用されている事から下屋庇の幕板や、内壁の板張、外部正面の格子戸、壁の鏝仕上げなどが施され、基礎も土間の上に玉石を敷いてから土台を廻しているのに対し下嵯峨屋では意匠的なものは殆ど感じられず工法もより質素なものが採用されています。

昭和43年(1968)に解体復元された際、柱に桧が使われている事などが判り、木曽谷の民家としては大変珍しい仕様になっていた事が判りました(前身の建物の用材を転用したものと推定されています)。江戸時代には身分によって工法や利用出来る材種などが厳しく制限され、特に尾張藩(愛知県名古屋市:本城−名古屋城)では一般庶民の木曽ヒノキの利用は禁止されていた為、極めて異例な事例とされます。旧下嵯峨屋は江戸時代中期に建てられた小規模町屋建築の遺構として貴重な存在で、妻籠宿の良好な町並み景観に大きく寄与している事から昭和49年(1974)に南木曽町指定有形文化財に指定されています。又、妻籠宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるとその構成要素に選定されています。現在は南木曽町が所有し一般公開され内部見学できます。

旧下嵯峨屋:写真

下嵯峨屋
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