妻籠宿: 光徳寺

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概要・歴史・観光・見所
光徳寺(南木曽町)概要: 瑠璃山光徳寺は妻籠宿の中心に位置する枡形を見下ろす高台に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です(長野県木曽郡南木曽町吾妻上町)。一説には光徳寺は妻籠宿の防衛の要として配されたとし、石垣や土塀はそれを感じさせるものがあります。案内板によると「 伝承によれば光徳寺は、明応9年(1500)に悟渓和尚によって開山されたということであるが、史料的には「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進張」によって、慶長4年(1599)にはその建立が確実に認められる。光徳寺の庫裏には、幕末から明治にかけての住職逐応和尚によって考案設計された、人力車の祖形ともいうべき「車付駕籠」(町有形文化財)が保存され、また境内には樹齢250年余の「枝垂桜」(町天然記念物)がある。」とあります。

光徳寺が何時頃から開かれたのかは判りませんが、享保10年(1725)に編纂された「木曽妻籠宿書留」によると明応9年(1500)に悟渓和尚によって開かれたとされ、寺伝によると天正11年(1583)に開善寺長野県飯田市:元小笠原家菩提寺)の性天和尚が隠居所として薬師堂を設けたのが始まりとされます。又、光徳寺が所有する「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進張」には慶長4年(1599)に京都の仏師木山によって彫刻された薬師如来像を本尊として勧請した事が記録されている事から少なくともこの年には光徳寺が境内を構えていた事になります。

慶長7年(1602)に中山道(木曽路)が開削され、妻籠宿が成立すると、妻籠宿の本陣職を担った島崎家と、脇本陣職を担った林家(奥谷)から篤く帰依され、堂宇の再建の際には両家が大きく貢献し宿場内の主要な寺院として寺運も隆盛しています(島崎家、林家の菩提寺として境内には墓碑が建立されています)。

現在の光徳寺本堂は享保10年(1725)に再建されたもので、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行10間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、再建の際には脇本陣の林平八郎が多大な寄進が行われ、幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家として幕末の三舟の1人に数えられた山岡鉄舟の書による「光徳寺殿」の扁額が掲げられています。又、内陣には本堂再建当時の住職英厳和尚に8代将軍徳川吉宗が篤く帰依していた事が関係し、尾張藩が禁止していた木曽ヒノキを利用した千本格子が設けられています。庫裏は天和2年(1682)に造営されたもので、内部には天保年間(1830〜1844)に、遂応和尚が日本で初めて考案したいう人力車(車付駕籠)が保管されています。格式も高く、通用門として利用したと思われる長屋門の他、勅使門と思われる開かずの門が備えられています。妻籠宿が昭和51年(1976)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると光徳寺の堂宇も構成要素として選定されています。

光徳寺は寺宝も多く、大般若経(寛文13年:1673年〜延宝7年:1679年・600巻)と車付駕篭(人力車の祖型・屋根:縦1.55m、横1.1m、高さ1.17m 柄の長さ2.6m、車輪直径1.05m)、本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進張が南木曽町指定文化財に指定されています。又、境内には樹齢250年余の「枝垂桜」があり南木曽町指定天然記念物に指定されていましたが、平成16年(2004)に枯れた為に伐採されています。木曽七福神巡り:恵比寿。中部四十九薬師霊場第21番札所。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:薬師如来(京都の仏師:木山作)。

光徳寺:写真

光徳寺
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