妻籠宿: 脇本陣奥谷

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脇本陣奥谷
脇本陣奥谷
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脇本陣奥谷 脇本陣奥谷 脇本陣奥谷 脇本陣奥谷
概要・歴史・見所・観光
妻籠宿脇本陣奥谷概要: 林家(奥谷は屋号)の祖は木曽谷を支配していた木曽氏に従う武家だった家柄です。木曽氏は武田家の木曽侵攻に以降は武田家に従い有力家臣の1人となりましたが武田家が衰退すると逸早く織田、徳川軍に寝返りました。徳川家康の関東移封に従い木曽氏も上総国へ移りましたが林家は当地に留まり木曽氏の旧臣山村氏に従い、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで山村氏は徳川秀忠の中山道進軍に助けた功で代官に任ぜられ林家も妻籠宿脇本陣及び問屋を務める事になりました。江戸時代中期頃から酒造業を行うと妻籠宿随一の豪商に成長し、宿場の上役などを歴任するようになり、天保12年(1841)以降は林家が庄屋となりました。文久元年(1861)年11月1日、皇女和宮が江戸徳川家に降嫁の際、中山道を北上し妻籠宿では林家(奥谷)で休息を行い明治13年(1880)の明治天皇巡幸の際も御小休所として利用しました。又、島崎藤村の初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先としても知られ藤村の作品の中の"初恋"のモデルになったと言われています。現在の主屋は明治12年(1879)に建てられた木造2階(1部3階)、切妻、桟瓦葺、平入、建築面積312.7uの建物で明治10年(1877)まで使用出来なかった木曽檜を採用した豪勢な造りで当時の林家の隆盛が偲ばれます。脇本陣奥谷は「流派的又は地方的特色において顕著なもの」との理由から土蔵(明治3年:1870)、文庫蔵(江戸時代末期)、侍門(明治時代初期)と共に平成13年(2001)に国指定重要文化財に指定されています。現在は南木曽町博物館として林家に伝わる資料や古文書などと共に一般公開されています。

 

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