上松宿(木曽路)・玉林院

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上松宿(木曽路)・玉林院

【 概 要 】玉林院(長野県木曽郡上松町・上松宿)の境内から背後の高台一帯は木曽氏上松宿(木曽路)・玉林院の第17代当主木曽義康の2男蔵人義豊が築いた上松氏館(上松町指定史跡)がありました。義豊は当地に配されると地名に因み上松姓を名乗り、木曽氏の有力一族として重きを成し、織田信長への人質にもなっています。兄である第18代当主木曽義昌が天正18年(1590)に徳川家康の関東移封に伴い義昌も下総国海上郡阿知戸領(現在の千葉県旭市)に移された事から、義豊も随行し上松氏館は廃城になったと思われます。玉林院は天正年間(1573〜1593年)に開山したと伝わるため、上松氏館の出城として機能させる為に境内を整備されたのかも知れませんし、廃城後に創建したのかも知れません。開山者は第15代当主木曽義元の2男玉林で、元々木曽氏縁の地だった事が窺えます。木曽家が移封後は上松宿住民から信仰され明和3年(1766)には上松宿本陣職の藤田治郎兵衛や脇本陣職で総庄屋、問屋役の原金右衛門など6名、上松宿以外では田口庄右ェ門他5名が協力し、山門が造営されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、上屋が鐘撞堂、棟梁は薮原宿(長野県木曽郡木祖村)出身の川村弥平治他3名、上松宿出身の留久六他3名、屋根は松本城下(長野県松本市)出身の高木弥兵他1名が手掛けたもので、明治26年(1893)の火災により本堂や庫裏が焼失するなか類焼を免れ、上松町最古の楼門建築物として貴重な事から、昭和59年(1984)に上松町指定有形文化財に指定されています。現在の玉林院本堂は昭和38年(1963)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え。本堂正面には4本の樹齢推定約270年の黒松が残され昭和59年(1984)に上松町指定天然記念物に指定されています。

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