上松宿(木曽路)・小野の滝

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上松宿(木曽路)・小野の滝

【 概 要 】−小野の滝(長野県木曽郡上松町・上松宿)は風光明媚な景観が覆い木曽路の中でも名瀑上松宿(木曽路)・小野の滝として知られた存在です。戦国時代の武将、歌人としてしても知られた細川幽斉が天正18年(1590)に小田原の役(豊臣秀吉による小田原北条氏殲滅戦)に従軍し木曽路(中山道)を利用した際小野の滝を訪れています。その時の様子を著書である「玄旨法印道之記(老の木曽越)」に記載されており、小野の滝に対して「木曽路の小野の滝は、布引や箕面の滝にも、をさをさおとらじ、これほどの物をこの国の歌枕には、いかにもらしける」と評して、全国的に知名度があり歌枕として多くの和歌などで詠われている箕面の滝(大阪府箕面市・日本滝百選)や布引の滝(兵庫県神戸市・日本滝百選)に全く劣らない「小野の滝」が歌枕になっていないのはとてもおかしな話であると評し、「をのつから行くる人のよりきつつ こころひかれしたきのしらいと」、「なつひきのいと引懸したき水は をのとわくなるすみもみうす」の2句を残しています。江戸時代中期の寛保3年(1743)頃には尾張藩の書物奉行をしていた松平君山が近江八景になぞって木曽路八景(徳音寺の晩鐘・駒 ヶ岳の夕照・御嶽の暮雪・桟の朝霞・寝覚めの夜雨・風越の晴嵐・小野の瀑布・与川の秋月)を選定、その中の1つ「小野の瀑布」として「一片青山匹練懸 巉岩三級濺飛泉 回頭共怪銀河落 賦就誰能擬謫仙」の漢詩が添えられています。木曽代官山村家のおかかえ絵師であった池井祐川父子の版画や 歌川(安藤)広重・渓斎英泉の合作による「中山道六十九次」の上松宿を描いた浮世絵にも小野の滝が題材となり、江戸時代末期に木曽路を歩いた土方歳三も「志ろたえに み類ひとすじは 手都くりの それとまがふ をのの瀧つせ」の句を詠んでいます。明治時代に入ると旧松本藩士で自由民権運動家として知られ長野県の教育に尽力した浅井洌が「ふきおろす 松の嵐も音たえて あたりしずしき 小野のたきつせ」の句を詠んでいます。明治42年(1909)に小野の滝の上部に鉄道が架けられた為、往時の風景、景観は一変しましたが、鉄橋の隙間から垣間見れる小野の滝も時代の流れが感じ取れるのかも知れません。

上松宿・名所・見所玉林院寝覚の床小野の滝
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