木曽義康

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人 物 名
備 考
・木曽義康・木曽義康は父親である木曽義在の嫡男で、義在存命中の天文11年(1542)に家督を継いだとされます。義康の代で概ね木曽谷が掌握され、天文年間(1532〜1554年)には義在の築いた上之段城の向かいに堅固な福島城を築いて新たな拠点としてしています。国人領主である村上氏や小笠原氏、諏訪氏と共に信濃四大将に数えられるなど隆盛し、武田信玄の信濃侵攻に対しても上記3氏と協力し対応していましたが、3氏は各個撃破され何れも没落の憂いにあっています。逆に義康は天文18年(1549)に鳥居峠において武田方と激しい戦いが繰り広げられここでは勝利したとされ、その後の経緯は不詳ですが、弘治元年(1555)に事実上武田家に降伏し、娘である「岩姫」は人質として甲府(山梨県甲府市)に送られ、信玄の娘である「真理姫」が嫡男木曽義昌の正室として迎えています。これにより、形式的には武田家と木曽家は親族関係となり、以後は親族衆として重用されるようになり、永禄3年(1560)には武田家と敵対した飛騨領主三木氏との戦いに及んでいます。天正7年(1579)没。
・福島城・天文年間(1532〜1554年)に義康が築城した山城。
・興禅寺興禅寺は永享6年(1434)に木曽信道が義仲の追善供養の為に創建。境内に義康の墓碑。
・鹿島神社・永禄元年(1558)に木曽鹿島社(現在の鹿島神社:長野県木曽郡大桑村須原宿)鳥居の造営を行っています。
・定勝寺・永禄4年(1561)1月17日に定勝寺の寺領(野尻郷林在家)安堵をしています。
・若宮八幡神社・永禄8年(1565)、黒沢口に鎮座する若宮八幡神社(現在の御嶽神社若宮)、三十六歌仙板絵を奉納(宗春の名で3枚寄進)しています。
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木曽路・人物一覧
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