小野の滝

  長野県:歴史・観光・見所木曽路(中山道)上松宿>小野の滝

概要・歴史・観光・見所
小野の滝(上松町)概要: 小野の滝は中山道(木曽路)を代表する名瀑で、滝の高さは約20m、風光明媚な景勝地として知られていました。戦国時代の武将、歌人としてしても知られた細川幽斉が天正18年(1590)に小田原の役(豊臣秀吉による小田原北条氏殲滅戦)に従軍し木曽路(中山道)を利用した際小野の滝を訪れています。その時の様子を著書である「玄旨法印道之記(老の木曽越)」に記載されており、小野の滝に対して「木曽路の小野の滝は、布引や箕面の滝にも、をさをさおとらじ、これほどの物をこの国の歌枕には、いかにもらしける」と評して、全国的に知名度があり歌枕として多くの和歌などで詠われている箕面の滝や布引の滝に全く劣らない「小野の滝」が歌枕になっていないのはとてもおかしな話であると評し、「をのつから行くる人のよりきつつ こころひかれしたきのしらいと」、「なつひきのいと引懸したき水は をのとわくなるすみもみうす」の2句を残しています。

細川幽斉とは丹後宮津11万石の大名 細川藤孝の事で一流の文化人としても知られ、彼が小野の滝と比較した箕面の滝とは現在の大阪府箕面市にある落差33m、幅5m、日本滝百選に選定され、布引の滝は現在の兵庫県神戸市にある滝で同じく日本滝百選に選定されています。当時の小野の滝はこれらの滝と同等と捉えていたようです。

江戸時代中期の寛保3年(1743)頃には尾張藩の書物奉行をしていた松平君山が近江八景になぞって木曽路八(徳音寺の晩鐘・駒 ヶ岳の夕照・御嶽の暮雪・桟の朝霞・寝覚めの夜雨・風越の晴嵐・小野の瀑布・与川の秋月)の一つに選ばれ、「小野の瀑布」として「一片青山匹練懸 巉岩三級濺飛泉 回頭共怪銀河落 賦就誰能擬謫仙」の漢詩が添えられています。

木曽代官山村家のおかかえ絵師であった池井祐川父子の版画や 歌川(安藤)広重・渓斎英泉の合作による「中山道六十九次」の上松宿を描いた浮世絵にも小野の滝が題材となり、江戸時代末期に木曽路を歩いた土方歳三も「志ろたえに み類ひとすじは 手都くりの それとまがふ をのの瀧つせ」の句を詠んでいます。

明治時代に入ると浅井洌が「ふきおろす 松の嵐も音たえて あたりしずしき 小野のたきつせ」の句を詠んでいます。浅井洌は旧松本藩士で自由民権運動家として知られ長野県の教育に尽力し、長野県の学校で教鞭をとり長野県民歌である「信濃の国」の作詞を行なっています。明治42年(1909)に小野の滝の上部に鉄道が架けられた為、往時の風景、景観は一変しましたが、鉄橋の隙間から垣間見れる小野の滝も時代の流れが感じ取れるのかも知れません。

小野の滝近くにある案内板によると「 広重・英泉の合作である中山道六十九次の浮世絵に描かれている上松は、この小野の滝の絵です。明治42年鉄道の鉄橋が真上に架けられ、残念ながら往年の面影がなくなりました。かつてここを旅した細川幽斉は「老の木曽越」のなかで「木曽路の小野の滝は、布引や箕面の滝にも、をさをさおとらじ、これほどの物をこの国の歌枕には、いかにもらしける」と、手放しで誉めています。また、浅井洌は、この地を訪れて "ふきおろす松の嵐も音たえて あたりしずしき小野のたきつせ" と、歌を詠んでいます。今も上松の旧蹟にかわりありません。」とあります。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板

小野の滝:写真

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小野の滝 小野の滝 小野の滝 小野の滝

小野の滝と関係した歴史的人物

人 物 名
備 考
細川幽斎・幽斎は木曽路の上松宿(長野県木曽郡上松町)の外れにある小野の滝は、名瀑として幾つもの和歌で詠われた布引滝(兵庫県神戸市中央区)や箕面の滝(大阪府箕面市)と全く遜色がない。何故、小野の滝が歌枕にならなかったのか不思議でしょうがないと賞賛しています。
貝原益軒・上松宿の外れにある小野の滝は大変見事な滝で昔細川幽斎が木曾越という紀行文で紹介しているとしています。
種田山頭火・見学のみ、とうとうと落ちる水を眺めると気がまぎれたようです。
・浅井洌・浅井洌が県歌「信濃の国」の作詞した際、小野の滝を訪れ、「ふきおろす松の嵐も音たえて あたりすずしき小野のたきつせ」の歌を残しています。
・広重・英泉・歌川広重(安藤広重)・渓斎英泉合作の「中山道六十九次」の上松宿では小野の滝が描かれています。
・土方歳三・江戸時代末期の文久3年(1863)2月、14代将軍徳川家茂の上洛の警護の為、新選組の前身となる壬生浪士組200余名が中山道を西上しました。その中の一人、後に新選組副長で五稜郭(北海道函館市)の戦いまで戦い抜いた土方歳三も随行し「白妙に見る一筋は手作りのそれかとまかう小野の滝つせ」の歌を残しています。


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