安部神社(大町市)概要: 安部神社は長野県大町市平城浦に鎮座しています。安部神社の創建年は不詳ですが仁科氏によって築かれた森城(仁科城)に勧請されています。仁科氏の出身には諸説あり、一説には平安時代後期に発生した前九年合戦で源頼家で敗れた安倍貞任は越後国を経由して当地に流れ着き仁科家の祖になったとされ、一説には古代の氏族である阿部氏(始祖:大彦命。主要氏名:阿部比羅夫など)が当地に配され仁科家の祖になったとも云われています。
承久3年(1221)、承久の乱で当時の当主である仁科盛遠が没落すると森城(仁科城)に北条方の手に落ちましたが仁科家の一族、又は家臣と思われる阿倍貞高(五郎丸)が奪い返し、天福元年(1233)に木曾義重によって攻められるまで城主を担いました。落城の際、貞高は再起を目指し、密かに木崎湖から対岸に逃れようとしましたが、日頃から愛情込めて飼っていた犬と鶏が大きな声で鳴きながら貞高を追った為、敵方に見つかり、泳ぎ切った所で捕縛されました。住民達は貞高を慕い、その浜を「阿部渡」と呼び、祠を設けて篤く祭ったそうです。
安部神社に鳥居が無いのは、貞高が捉えられた要因となった鶏を忌み嫌かったからで、氏子は犬と鶏を飼う事がなかったとも云われます。その後、仁科氏の一族が復権し森城(仁科城)の城主に返り咲くと、祖先とされる安倍貞任を祀る安部神社を創建し城内鎮護を願ったのかも知れません。戦国時代に仁科氏が没落し森城(仁科城)が廃城になった後も、安部神社は周辺住民の産土神として信仰を続けました。拝殿は入母屋、鉄板葺き、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付き、本殿は一間社流造、銅板葺き。祭神:安倍貞任、安倍宗任。
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