慈恩院(豊丘村)概要: 補陀山慈恩院は長野県下伊那郡豊丘村神稲に境内を構えている曹洞宗の寺院です。 慈恩院の創建は平安時代末期、伴野庄(鳥羽天皇の皇女上に西門院統子内親王の御領)の荘司の位牌寺として開かれたのが始まりとされます。当初は天台宗でしたが、後に真言宗に改宗し、天文23年(1554)に武田方の軍勢の兵火により焼失し一時衰退、天正2年(1574)に伴野半左衛門が玄室和尚(耕雲寺)を招いて中興開山し、真言宗から曹洞宗に改宗しています。現在の山門は元文5年(1740)に大厳和尚(江戸下谷教安寺9世、慈恩院8世大方和尚の弟子)の寄進により再建された建物で、入母屋、銅板葺き、三間一戸の四脚楼門で上層部は吹き放しの鐘楼堂(旧鐘楼門:梵鐘は戦時中に供出)、江戸時代中期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和60年(1985)に豊丘村指定有形文化財に指定されています。
慈恩院境内には開基となった伴野庄の荘司の墓碑と推定される宝篋印塔は鎌倉時代に建立されたもので塔身上部が欠損し高さ90cm余りしか残されていないものの、鎌倉時代の石造物として貴重な事から昭和57年(1982)に豊丘村指定有形文化財に指定されています。又、墓地には幕末に「尊皇派女性志士」、維新後に「岩倉家の女参事」と呼ばれた松尾多勢子の墓碑が建立されています。伊那秩父三十四観音霊場第9番札所。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼。
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