飯田市(歴史)概要: 飯田市座光寺地区にある恒川遺跡は、奈良時代から平安時代初期にかけて設置された「伊那郡衙跡」と推定される遺跡で硯や三彩陶器、和同銀銭などが発掘され、飯田市周辺は古くから朝廷との関わりが強い地域だと考えられます。又、飯田市は5世紀後半から6世紀に築造された前方後円墳の密集地帯とされ長野県の中でも特異な存在だったと思われます。鎌倉時代に入ると知久氏や阿曾沼氏が地頭として支配し、室町時代初期は阿曾沼氏の同族である小山氏が地頭職に就きました。天寿6年(1380)頃から信濃国守護職である小笠原家の一族である坂西氏が領主となり飯田城を築城し居城としてます。
戦国時代に入ると武田家の支配となり、武田家が滅ぶと織田家家臣毛利氏、京極氏、江戸時代に入ると飯田藩が立藩し、小笠原氏、脇坂氏と短期間で藩主が交代、寛文12年(1642)に堀親昌が2万石で入封すると明治維新まで堀家が代々藩主を勤め藩政も安定します。ただし、飯田市内には多くの旗本領や天領、諸侯の飛地などで細分化されその時々で領境が変わることも多かったそうです。飯田城の城下は三州街道の宿場町でもあり、太平洋から産出される塩や海産物が信州にもたらされました。
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