実相院(上田市真田町)概要: 金縄山実相院は長野県上田市真田町傍陽に境内を構えています。実相院の創建は神亀2年(725)、行基菩薩によって開かれたのが始まりと伝えられています。大同元年(806)、角間渓谷の岩屋で毘邪王が鬼達を率いて村人に悪行の限りを尽くしていた際、朝廷は四道将軍の坂上田村麻呂を派遣しました。毘邪王は妖術の使い手だった為なかなか倒す事が出来きず、こまった田村麻呂が実相院に安置している馬頭観音に祈願すると妖術が封じられようやく討伐することが出来ました。毘邪王の遺骸は金属の鎖で縛ったまま実相院の境内に埋められ金縄山慈済寺実相院と山号が改称されました。
以来、将軍の祈願寺として寺運も隆盛し、貞治6年(1367)には将軍執権堀田式部少輔が観音堂を再建し石造宝篋印塔を建立しました。応永3年(1396)の落雷、天文年間(1532〜1555)の兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しますがその都度、再建、再興されています。歴代領主からも庇護され寛保2年(1743)には当時の上田城の城主松平伊賀守が本堂を再建しています。
現在の実相院観音堂は天明3年(1783)に移築再建されたもので20年間の歳月がかけられた懸造(傾斜地等の崖地に建物を張出すようにして建てる構造)の珍しい構造をしています。貞治6年(1367)の石造宝篋印塔(総高207cm、塔身31cm、相輪48cm)は建立年が明確で上田小県地方では最も保存状態が良いことから平成3年(1991)に長野県の県宝に指定されています。木造十一面観音立像は制作年は藤原時代、像高107.8cm、元々は真田家の崇敬社だった山家神社の別当寺院白山寺の本尊として安置されていましたが、明治時代に発令された神仏分離令により白山寺が廃寺となり明治2年(1869)に実相院に遷された古仏像で、貴重な事から昭和47年(1972)に上田市指定文化財に指定されています。山号:金縄山。宗派:天台宗。本尊:馬頭観音。
懸造を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-金縄山実相院
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