真田氏館(上田市)概要: 真田氏館の築城年は不詳ですが、天文13年(1551)に 真田幸隆が砥石城を攻略し功をあげると、旧領である真田の庄が与えられ砥石城を一時居館とした後で築いたと考えられています(明確な築城年は不詳)。天正2年(1574)に幸隆が死去すると嫡男である信綱が館主となったと思われますが天正3年(1575)の長篠の戦(長篠城:愛知県新城市)で討ち死にした為、幸隆の3男である昌幸が跡を継いでいます。天正13年(1585)、昌幸が上田城に居城を移すと廃城となり、その後、館跡には皇大神宮を勧請したと伝えられています(昌幸が館跡の荒廃を防ぐ為に皇大神宮を創建させ神域として保全したとも)。
真田氏館の土塁総延長は約520m、当時は3方が堀で囲まれ残る1方が大沢川が天然の堀に見立てられました。郭内は上下2つの平場があり大手門(南面)、搦手門(北面)、東門(南東面)の3門が設けられ、館北西隅には、厩と思われる約10m四方に区画された土塁が見られます。真田氏館は中世大名の居館跡の遺構として明確に土塁や郭の形状、石垣の一部が残されている貴重な遺跡で昭和42年(1967)に長野県指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(御屋敷公園)-長野県上田市
・ 現地案内板-上田市教育委員会
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