山家神社(上田市真田町)概要: 山家神社は長野県上田市真田町長に鎮座している神社です。山家神社の創建は不詳ですが大己貴命の分霊を勧請し舊山家郷の産土神としたのが始まりとされ景行天皇の御代(71〜131年)に日本武尊を合祀したと伝えられています。古くから神仏習合の形態を持ち山家神社の別当職だった浄定が泰澄大師(修験道の高僧、白山開山)を師事していたこともあり加賀の白山比盗_杜(石川県白山市)の分霊を勧請し養老2年(718)に四阿山山頂付近(標高2354m。日本百名山)に奥社を建立しています(山頂には2つの社が建立され群馬県側を上毛社、長野県側を信濃社としています)。
山家神社は当初、舊字古坊という場所に鎮座していましたが天安元年(857)、山津波が起り境内が流され社殿も大破した為、現在地に遷座しています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社としても記載され古くから格式の高い神社として知られていました。歴代領主から崇敬庇護され、特に真田庄を支配した真田氏の崇敬社として社殿の造営や社領の寄進などが行われ、慶長5年(1600)の関が原の戦いの際の上田城攻防戦の兵火により焼失した際も翌年の慶長6年(1601)には真田信幸(信之)が社殿を再建しています。
上田城から見ると境内が北東の方角にある為、鬼門鎮守の守護神とされ2度に渡る徳川軍との上田城攻防戦に勝利していることから、その神徳は絶対的なものがあり歴代上田藩主となる仙石氏や松平氏も藩費をかけて社殿の造営や社領の安堵、祭典費等の寄進を行っています。中世以降は「白山大権現」や「白山様」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により別当寺である白山寺が廃寺となり、旧社号である山家神社に改称、明治6年(1973)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定、昭和6年(1931)に県社に列しました。祭神は大国主神・伊邪那美神・菊理媛神・日本武尊(相殿)。又、境内一帯は明治20年(1887)の真田大火災でも焼け残った様々な樹木があり「山家神社社叢」として昭和57年(1982)に上田市(旧真田町)指定天然記念物に指定されています。
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(史跡めぐりコース案内)-真田自治会
・ 現地案内板-上田市教育員会
・ 現地案内板-山家神社・真田自治会
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