塩尻市: 深澤家住宅

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概要・歴史・観光・見所

深澤家住宅(塩尻市)概要: 深澤家は屋号「加納屋」を掲げ、中山道(木曽路)の宿場町である贄川宿の豪商として知られていました。

深澤家は江戸時代を通して行商で販路を開き文化年間(1804〜1818年)には京都や大坂などの上方や東北地方に進出し広く商いを展開、江戸時代後期には茂吉を代々襲名していました。

江戸時代末期の萬助の代の安政5年(1858)には「一代苗字御免」を尾張藩から許可されるなど商人ながら格式ある家柄でした。

現在ある深澤家住宅主屋は江戸時代末期の嘉永4年(1851)の火災で焼失した後の嘉永7年(1854)に再建された建物です。

構造は江戸時代の町屋建築の軒高が制限された為、2階の天井が通常の2階建よりも低い木造つし2階建、切妻、鉄板葺き、平入、桁行5間5尺(10.6m)、梁間9間半(17.3m)。

外壁は正面が真壁造り、側面は下見板張り縦押縁押え、正面2階外壁を椀木と桁で支え前に突き出す出桁造り。

外壁正面には1、2階共に意匠的な格子戸が嵌め込められ、2階正面両側には白漆喰で仕上げられた、防火、延焼を防止する袖壁が備え付けられています。

袖壁は、主屋が嘉永7年(1854)の火災で焼失後に再建された建物だった事から、防火意識が高かったと思われます。

間口が狭く奥行きが長い当時の町屋の姿を踏襲し、内部は1階が正面の街道から敷地の奥を繋ぐ通り土間と、2列8室で配された座敷、2階は表と裏と呼ばれる部屋が2室で構成されています。

又、2階の街道側正面は出桁造と呼ばれる、木曽路の宿場町の町屋建築で多く見られる工法が採用され、1階の構造材から椀木を延ばし、2階床の支える桁を乗せる工法が採用されています。

敷地内に残されている深澤家住宅北蔵は文政4年(1821)に建てられた建物で、土蔵造り2階建て、桁行き3.3m、梁間9.1m、切妻、鉄板葺き、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁仕上げ。

敷地内に残されている深澤家住宅南蔵は文久2年(1862)に建てられた建物で、土蔵造り2階建て、桁行き3.4m、梁間8.4m、切妻、鉄板葺き、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁仕上げ。

深澤家住宅は江戸時代後期に建てられた建築年が明確な町屋建築の遺構として大変貴重な存在で、主屋、北蔵、南蔵の3棟と深澤家に伝わる古文書の内、家相関連資料である家相図4枚・地理家相建物之断書1冊が平成17年(2005)に国指定重要文化財に指定されています。

【 贄川宿 】−贄川宿は塩尻方面から見ると、木曽谷の入り口あたる地形的な重要性から古くから関所が設けられてきました。江戸時代に入ると木曽谷一円は尾張藩領に組み込まれた為、尾張藩(愛知県名古屋市)と松本藩(長野県松本市・藩庁:松本城)の藩堺に位置した事から、福島関所の副関となる口留番所が設置されています。特に木曽谷は良質な木材の産地で尾張藩の財政に大きく寄与していた事から、その出入りの管理は徹底されました。町並みよりやや離れた山沿いには、鎮守である麻衣迺神社や菩提所である観音寺が境内を構え当時の名残を見せています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-塩尻市教育委員会

深澤家住宅:写真

深澤家住宅
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