木曽平沢: 歴史・観光・町並み

  長野県:歴史・観光・見所>木曽平沢(塩尻市)

概要・歴史・観光・見所
木曽平沢(塩尻市)概要: 木曽平沢は慶長7年(1602)に奈良井川対岸にあった中山道を現在地付近に付け替えた際、周辺の民家を集められて成立した町です。街道沿いに町並みが形成されましたが所謂正式な宿場町ではなく隣接する奈良井宿の枝郷として格付けされていました。木曽平沢は宿場町では無かった為、本陣や脇本陣、旅籠などの経営が許されず、檜物細工や漆器が地場産業として発展しました。江戸時代中期以降になると木曽谷の高地寒冷気候が漆工に適していることもあって中山道沿いの集落の中では最大の漆器生産地として発展し何時しか「平沢塗物」として全国的にも知名度が広がりました。明治時代に入り宿場制度が廃止になってからも宿場町でなかった事から大きな影響を受けず、逆に本堅地漆器の製造技術を導入するなど技術革新を図り漆器の増産を図り日本有数の漆器生産地として発展しました。

【 町並みの特徴 】−現在の木曽平沢の町並みは寛永2年(1749)の大火後に計画されたもので、集落を縦断する中山道(本通り)と西側に並行する金西町の街路の2本で構成され、道の両側には間口が狭く奥行が深い短冊状の敷地割りなされていました。火災の経験を生かした為一般的な町屋建築とは異なり、敷地一杯には建物が建てられず、防火、延焼を防ぐ為、隣会う建物とは一定距離が保たれ、アガモチと称する前面道路と主屋の間に空地を設けたり、隣家の建物同士を離す為、敷地奥に設けられたヌリグラ(漆塗りの作業場)へは外部の通路を通すなどの工夫が見られます。

【 町屋の特徴 】−基本的な主屋は木造2階建て、又は中2階建て、切妻、平入、板葺石置屋根、桁行3間で奥行が長い所謂町屋建築で敷地も短冊形で敷地割されています。これは、敷地の間口に対して税金が課せられているからで、正面主屋は漆器販売、取引場、中央に居住空間、敷地奥はヌリグラ(漆塗りの作業場・土蔵は温度、湿度共に外部より変化が少ない為、漆器製作には有利な建物とされます。)となっています。ヌリグラは通常の土蔵より開口が大きくとり漆器の作業に適した形状で木曽平沢にある町屋の特徴の1つになっています。

【 重伝地区の構成要素 】−木曽平沢は全国的にも少ない漆器生産の町として特徴ある町並みで伝統的町屋や塗蔵など多数現存していることから平成18年(2006)に名称「塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区」、種別「漆工町」として国の重要伝統的建造物群保存地区(東西約200メートル、南北約850メートル、面積約12.5ヘクタール、建築物 201件、工作物20件、環境物件16件)に選定されています。

【 諏訪神社 】−鎮守である諏訪神社の創建は文武天皇大宝2年(702)に高根伊勢守の道基により勧請された古社、現在の社殿は天正10年(1582)武田勝頼と木曽義康の兵火で焼失後の寛永14年(1637)に再建されたもので塩尻市指定有形文化財に指定されています。

【 木曽漆器 】−木曽漆器の大きな特徴は鉄分を多く含む「錆土」を下地材として使用している事で、これにより堅牢な漆器となっています(明治時代初期に旧楢川村内で漆器関係者達が下地で利用出来る粘土を探索し発見した)。常に新しい技術を取り入れると主に、伝統的な木曽春慶、木曽堆朱、塗分呂色塗の三技法も伝承され昭和50年(1975)に経済産業省による伝統工芸品に指定されています。又、平成3年(1991)には木曽漆器館が所有する木曽漆器の制作用具や製品など3729点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。

木曽平沢:町並み・写真

塩尻市木曽平沢
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