高遠閣(伊那市)概要: 高遠閣は昭和11年(1936)に、観光客の休憩所や町内の集会所として高遠城内に建てられた建物です。建設にあたり旧高遠町出身の池上秀畝(日本画家)・小松伝一郎(弁護士)・広瀬省三郎(鉱山経営者)・矢島一三(出版業者)らが中心となり自らが出資又は寄付を募り尽力しました。建物は木造2階建て、入母屋、鉄板葺(元こけら葺)、桁行き14間(25.4m)、梁間9間(16.4m)、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、2階は略全面が引き戸欄間付きの開口部で1階と2階の間は小庇を設け曲線の方立で支えています。
高遠閣の玄関屋根は寺院などの唐破風向拝風、その上部の1階屋根にも唐破風や千鳥破風を設ける事で正面性を高めています。旧城跡という歴史性を考慮し和風を基本としているものの、近代的な要素を取り込み現在では高遠城址公園の象徴的な存在となっています。設計は長野県駒ケ根市出身で帝国ホテル、日本郵船本社、東京帝国大学図書館、旧赤穂村役場(駒ヶ根市郷土館)などを手懸けた伊藤文四郎、棟梁は竹内三郎が担当しています。高遠閣は昭和初期に建てられた大型近代和風建築の遺構として貴重な存在で「造形の規範となっているもの」との登録基準(二)より平成14年(2002)に国登録有形文化財に登録されています。
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