伊那市高遠町: 蓮華寺

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概要・歴史・観光・見所
蓮華寺(伊那市高遠町)概要: 妙法山蓮華寺は長野県伊那市高遠町長藤に境内を構えている日蓮宗の寺院です。蓮華寺の創建は延文5年(1360)、妙実上人が開基となり阿闍梨日台上人が開山したのが始まりと伝えられています。当初は藤沢郷北原に境内を構え長遠寺と称し、寛永12年(1635)には高遠藩(藩庁:高遠城)の藩主保科正之(2代将軍徳川秀忠の庶子、後の会津藩主)生母である浄光院(静)が日蓮宗に篤く帰依していた事もあり当寺に葬られています(後に改葬)。 高遠藩主鳥居氏に庇護され慶安4年(1651)、初代藩主鳥居忠春が現在地に境内を移し延宝8年(1680)には2代藩主鳥居忠則が4代将軍徳川家綱の菩提を弔う為位牌堂を寄進しています。忠則が改易後、元禄2年(1689)に位牌堂は七面大明神(日蓮宗の総本山である久遠寺の守護神)の分霊を勧請した事で七面堂と呼ばれるようになっています。絵島生島事件で内藤清枚預かりとなった絵島は幕府の計らいにより信仰していた日蓮宗の寺院である蓮華寺の参拝は許していたとされ軟禁されていた身には心の拠り所になっていたと思われます(後年はかなり緩くなりある程度の自由があったとされます)。

蓮華寺七面堂は宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造白漆喰仕上、正面花頭窓付、江戸時代初期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和62年(1987)に伊那市指定有形文化財に指定されています。又、境内には大奥の大年寄となった絵島の墓碑があります。絵島は正徳4年(1714)に絵島生島事件を起こし高遠に流罪となり寛保元年(1741)61歳で没するまで28年間幽閉され、遺言により蓮華寺の境内に土葬埋骨されました(歯骨と髪の毛は江島縁の遠照寺の境内に収められています)。

絵島の墓は歴史的に貴重な事から昭和36年(1961)に伊那市指定史跡に指定されています。蓮華寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行8間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。伊那七福神:毘沙門天。山号:妙法山。宗派:日蓮宗。本尊:釈迦如来。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(絵島縁起)-妙法山蓮華寺
・ 現地案内板

蓮華寺:写真

蓮華寺
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