旧池上家住宅(伊那市高遠町)概要: 旧池上家住宅(商家民俗資料館)は長野県伊那市高遠町西高遠に位置しています。池上家の祖先は武田氏に仕え城の造営などを行う技術者でしたが、後に本家である池上清左衛門家から別れ、安土桃山時代の文禄年間(1593〜1596年)頃から瀬戸物、小間物、酢、醤油などの醸造業を営む商家となりました。又、池上家は代々高遠藩の御用達商人の傍ら鉾持町の丁代や名主、問屋などの上役を歴任し経済的にも大きな影響力があったとされ、「万御用覚帳」や「御用覚帳」、「諸色御用控帳」、「御触書控帳」、「町役用諸事控帳」、「町内御用控」、「御用向諸事控」、「所願書控帳」、「宗門帳」、「家筋書上帳」、「家数間数覚帳」、「町役人心得」、「年内行事懐中録」、「町役月行事控」など数百点に上る数多くの古文書や記録などが残されています。
現在の旧池上家住宅の建物は江戸時代に建てられたもので、高遠城の城下町の中では最古の町屋建築とされ、木造2階建て、切妻、金属板葺き(下屋:瓦葺き)、平入り、桁行9間、梁間5間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、1階正面下屋庇、開口部は2階は板戸、1階は格子戸、軒が比較的低く古い形式の町屋建築を踏襲しています(江戸時代の町屋建築は高さ制限があり低く押えられていた)。旧池上家住宅は江戸時代に建てられた町屋建築の遺構として貴重な事から名称「商家池上家」として昭和62年(1987)に伊那市指定有形文化財に指定されています。現在は商家民俗資料館として一般公開され池上家に伝えられていた古文書や記録など数百点が展示されています。
【 杖突街道 】−旧池上家住宅が位置する高遠町は、高遠城の城下町である共に杖突街道の宿場町でもありました。杖突街道は甲州街道の茅野宿(茅野市)から三州街道の伊那部宿(伊那市)を結ぶ街道で、難所である杖突峠(長野県茅野市と長野県伊那市の境界にある峠。標高1247m)が名称の由来となっています。古代の東山道と略同じ経路とされ、戦国時代には武田信玄による伊那地方侵攻の軍用道路として利用されました。江戸時代に入ると、高遠藩の参勤交代の経路として利用され、江戸時代中期以降、庶民の神社仏閣の参拝が盛んになると、杖突街道は諏訪大社への参詣路となりました。高遠城下に物資を運ぶ大動脈でもあり、池田家の繁栄の基盤にもなりました。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-伊那市教育委員会
|
|