伊那市: 熱田神社

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概要・歴史・観光・見所
熱田神社(伊那市高遠町)概要: 熱田神社は伊那市長谷溝口宮之久保に鎮座している神社です。熱田神社の創建年は不詳ですが、日本武尊が東夷東征を完遂し凱旋で当地に訪れた際、住民の安寧を祈願し小祠を造営したのが始まりと伝えられています。伝承によると日本武尊が甲斐国酒折宮(山梨県甲府市:酒折宮)から帰国の途中溝口村に差し掛かると、住民に悪行の限りを尽くした大蛇の退治を懇願され、三峰川の上流で大蛇の首を切り落とし、首塚に祠を建立したそうです。

その後、社殿の位置は首塚から若干ずれたようで、境内の欅の古木の根元から大蛇の骨が見つかったので大蛇の霊を鎮める為に改めて「おかみ神社」を境内社として創建したと伝えられています。その後、日本武尊を偲んだ住民が熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区)の分霊(形影:三方三っ辻)を勧請し当地の産土神としました。熱田神社は住民の産土神でしたが広く知られる存在で、南北朝時代の公卿である藤原成文が歌った「信濃なる伊那てふ里の片辺にもめぐみあつたの神の御柱」は熱田神社のことを指していると言われています。祭神:本武尊・大日霊尊・草薙剣(天の叢雲剣)。例祭:10月15日。

現在の熱田神社本殿は宝暦12年(1762)に熱田神社の氏子百数十戸が300両という浄財を集めて造営したもので三間社入母屋造、こけら葺、両側面軒唐破風付、棟梁は地元溝口村出身の名工高見善八、彫刻は上州勢多郡(現在の群馬県前橋市)出身の関口文治郎、彩色は武州熊谷(現在の埼玉県熊谷市)の森田清吉が手掛けたものです(向拝の目貫き龍は享和元年:1801年に奉納)。

熱田神社本殿は建築は元より木鼻の麒麟や肘木の唐獅子・象・龍、隅木の獏など多くの精細な彫刻が施され極彩色で彩られている事から伊那の日光東照宮(栃木県日光市)や伊那日光の別称があり明治時代に建てられた覆屋(茅葺、入母屋、平入、外壁吹き放し)の中にあり保存状態も極めて高く覆屋(天覆)、棟札、建立歳記札、造営文書共に平成5年(1993)に国指定重要文化財に指定されています。

又、境内左手奥にある舞宮は以前拝殿前にあったものを昭和11年(1936)に移築したもので、木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行5間、現在は芝居や踊りなどの舞台として活用され、文化的価値も高く平成元年(1989)に伊那市指定有形文化財に指定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板

熱田神社:写真

熱田神社
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