長谷寺(白馬村)概要: 長谷寺は千国街道(新潟県糸魚川市〜長野県松本市)の飯森宿・飯田宿に位置し、創建は明徳2年(1391)に開かれたのが始まりと伝えられています。
その後、一時衰退しますが大永6年(1526)、当時の領主飯森盛春(※1)の正室である光姫の庇護により再興され寺運も隆盛しました。江戸時代に入ると長谷寺のある飯森に千国街道(※2)が開削した事から多くの旅人などから参拝を受けました。
現在でも境内には本堂、庫裏、山門、宝庫などの歴史ある建物や杉の古木群、庭園、光姫の墓碑、参道の石仏群が残り古寺の雰囲気を色濃く残しています。宗派:曹洞宗。本尊:十一面観世音菩薩。
長谷寺の文化財
・ 本堂-天和2年-寄棟,銅板葺,平入,桁行11間,唐破風向拝付-白馬村指定文化財
・ 庫裏-寛政11年-入母屋,銅板葺,妻入,真壁造-白馬村指定文化財
・ 山門-文政3年-入母屋,銅板葺,三間一戸,八脚楼門-白馬村指定文化財
・ 長谷寺の老杉群-推定樹齢500年(再興時に植樹)-白馬村指定天然記念物
・ 庭園-白馬村指定名勝
補足−(※1)飯森盛春−平倉城主、日向守。仁科盛国の子供とされ領主である仁科家の一族。弘治3年(1557)武田信玄の重臣(武田四天王の1人)である山県昌景の侵攻により盛春は自害、平倉城も落城した。
(※2)千国街道−日本海側の糸魚川(新潟県)と内陸側の松本(長野県)を結ぶ街道。
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