田野口藩(龍岡藩)概要: 元々は三河加茂郡大給に藩庁がありましたが正徳元年(1711年)に藩庁を現在の愛知県岡崎市奥殿町に移し、さらに文久3年(1863)に信濃佐久郡田野口に移転し田野口藩を立藩します。最初で最期の藩主松平(大給)乗謨は有能な人物で海陸御備向・大番頭を経て若年寄に抜擢され領内には当時全国的にも数例しかない様式城郭、龍岡城五稜郭を築城(未完)しています。
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田野口藩(龍岡藩)歴代領主
| 藩主名 | 藩主年間 | 石高 | 備考 |
初代 | 松平(大給)乗謨 | 1863〜1871 | 1.6万石 | |
龍岡藩と新海三社神社−龍岡城五稜郭の城下町郊外に鎮座する新海三社神社は佐久郡三庄三十六郷の総社として信仰された古社で、戦国時代には武田信玄からも崇敬庇護され箕輪城攻防戦戦の前には戦勝祈願の願文が奉納され、社殿が造営されています。江戸時代に入り田野口藩(龍岡藩)領になると新海三社神は藩主の崇敬を受け庇護の対象となり、天保6年(1835)8月には松平石見守乗利(大給松平家9代当主)によって手水舎の再建が成されています。明治時代に入ると神仏分離が行われ、神宮寺は境内外に上宮寺として移転し、残された三重塔(国指定重要文化財)は新海三社神の宝蔵として申請した為破却が免れています。
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