真理姫

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人 物 名
備 考
・真理姫・真理姫(真竜院)は天文19年(1550)に武田信玄の3女として生まれました(母親は正室である三条夫人、又は側室である油川夫人)。当時、信濃国は信玄の侵攻が激烈を極め、多くの国人領主は従うか滅ぼされるかの選択が強いられていました。当時の木曽家棟梁である木曽義康は徹底抗戦を叫び天文18年(1549)の鳥居峠の戦いでは勝利したものの、弘治元年(1555)に遂に武田家の軍門に下り、その条件として義康の娘である「岩姫」を甲府(山梨県甲府市)に人質として送還、逆に信玄の娘である「真理姫」が嫡男木曽義昌の正室として迎える事になっています。これにより木曽家は武田家の親族衆に加えられ、その後は主要な合戦に従軍するなど大きな勢力として武田家の版図拡大に貢献しています。しかし、天正元年(1573)に信玄が上洛途中で病死すると、暗雲が立り武田家の家督を継いだ武田勝頼が天正3年(1575)に長篠の戦いで織田信長、徳川家康の連合軍に大敗を喫してしまいます。

その間、真理姫と義昌との間には嫡男となる義利等を設けましたが、天正10年(1582)、義昌は武田家を見限り織田信長に属し為、真理姫は離縁し木曾山中に隠遁しています。義昌は武田家滅亡に大きく貢献したとし、新たに2郡が加増され10万石以上の大名になりましたが、その後の時代の潮流に巻き込まれ、結局、天正18年(1590)に下総網戸1万石という全盛期の10分1以下となり木曽谷を去り、跡を継いだ息子である義利も慶長5年(1600)に改易となっています。伝承によると真理姫は3男義通(義一)と共に三岳村野口の上村作右衛門家に世話になっていたとされ、旧木曽家家臣からも慕われ庇護されていたと伝えられています。正保4年(1647)に死去。享年98歳。

・大通寺大通寺山村良勝創建。真理姫の供養塔。
・旧三岳村・真理姫の隠遁地。墓碑(五輪塔)。
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