北国街道: 野尻宿

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概要・歴史・観光・見所
野尻宿(北国街道)概要: 野尻宿は北国街道の宿場町で、案内板によると「 北国街道は中山道追分宿で分岐して越後の出雲崎宿にいたる街道で、野尻宿は信越国境に位置する重要な宿場でした。佐渡の金銀を江戸へ運ぶ輸送路にあたり、安養寺境内には御金蔵がありました。柏原古間・野尻の三宿の村役人が御金荷の警固を務め、牟礼宿まで運びました。1781(天明1)年ころの野尻宿には、公用通行に人馬を提供する76軒の伝馬屋敷があり、両側に土手が築かれていました。宿場の中心部は間口の広い屋敷(馬役)がならび、10軒余の旅籠屋がありました。また、湖光・関之・魯堂など俳句をたしなむ者が多く、一茶はしばしば野尻宿を訪れました。1823(文政6)年には、一茶門人によって芭蕉句碑が建てられました。  そば所と人はいふ也赤蜻蛉  一茶 」とあります。現在野尻宿は真光寺や芭蕉句碑、野尻一里塚などの旧跡や史跡が点在します。野尻宿は俳諧が盛んな地域で、小林一茶の門人が数多くいたとされ、松尾芭蕉の130回忌にあたる文政6年(1823)に宿場にある仏心庵の境内に芭蕉句碑が建立されました。正面の「うめが香に のつと日の出る 山路かな」は元禄7年(1694)、芭蕉51歳の時、野坡(志太野坡:両替商三井越後屋の番頭・俳人・芭蕉門弟)との両吟歌仙の句で俳諧撰集「炭俵」に記載されています。裏面には野尻宿の一茶門人の魯堂(池田伝九郎)と関之(池田十郎平)の句も刻まれ、句碑としては信濃町最古のものとして信濃町指定文化財に指定されています。野尻一里塚は現在でも左右一対(塚間約17m)が残る貴重なもので、直径約12m、高さ約2.6m、昭和47年(1972)に信濃町指定史跡に指定されています。

野尻宿:町並み・写真

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