古間宿(北国街道)概要: 古間宿は北国街道の宿場町で、戦国時代に春日山城の城主上杉家によって前身となる街道が開削されると宿駅として整備されたようです。江戸時代に入り正式に北国街道が開削されると慶長16年(1611)に宿駅に選定され伝馬屋敷分として12石余が免税地となっています。
元和元年(1615)に長沼藩、慶安2年(1649)に天領、天和2年(1682)に坂木藩、元禄15年(1702)以降は天領支配となり明治維新を迎えています。
それらの経緯は「古間村宛上杉景勝家臣連署状」や「古間村宛松平忠輝伝馬屋敷下付証文」、「水内郡大古間村宛伝馬諸役免許状」などの古文書から明確で、特に価値の高い10通は貴重な事から平成13年(2001)に信濃町指定文化財に指定されています。
案内板によると「 古間宿ははじめ越後の上杉氏によって開かれましたが、江戸時代に入ると、隣接する柏原宿と合宿になり、月の後半だけ、人馬の輸送を行いました。伝馬屋敷は35軒分で、御免許屋敷と呼ばれていました。1818(文化15)年の家数は85軒で、商人9人、鍛冶屋6軒、旅籠屋5軒などで、なかでも信州鎌(古間鎌)の製造が盛んでした。白飛・雪居は熱心な門人で、一茶はしばしば古間宿に立ち寄りました。 短夜を古間の人のたくみ哉 一茶 」とあります。
現在の古間宿は古い建物も点在していますが、建て替えも進み昔の面影が失われつつあります。現在でも古間宿では信州鎌(古間鎌)の生産が行われ、その伝統的な技法が貴重な事から昭和47年(1972)に名称「信州鎌の技法」として長野県選択無形民俗文化財に指定されています。
古間宿の中心部に境内を構えている行善寺は、鎌倉時代に親鸞聖人が戸隠神社に参拝した際、親鸞を案内した社僧「行善坊」が弟子となり当地に一宇を設けたのが始まりとされる真宗大谷派の寺院です。境内の「タキソジュウム」は古間宿の象徴的な存在で樹高約21.63m、幹周約4.17m、貴重な事から平成28年(2016)に信濃町指定文化財に指定されています。
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