善光寺西街道: 桑原宿

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概要・歴史・観光・見所
桑原宿(千曲市)概要: 古くから猿ヶ馬場峠を控える交通の要地、軍事的拠点として重要視されていた地域で周辺には多くの中世の山城が点在しています。善光寺西街道が開削されると桑原宿は物資の集積地として地域経済の中心となり発展していたものの、次第に隣接する稲荷山宿に勢いに押され、稲荷山宿が正式な宿場町、桑原宿は間宿という立場に追い込まれました。ただし、松代藩(藩庁:松代城)領の藩境である猿ヶ馬場の麓に位置していた事から松代藩からは引き続き宿場町(私宿)として扱われ、宿場内には番所が設けられ人物改めや荷物改めなどが厳しく取り立てられました。

本陣は柳澤家が代々世襲して幕末には松代藩主真田幸教が京都へ登る際、桑原宿本陣で宿泊しています。往時の本陣は330坪の敷地に主屋(木造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行7間、梁間5.5間)を中心に表門、土蔵、物置、裏門があり格式のある建物が求められました(平成13年:2001に取り壊しとなった)。江戸時代後期から、明治時代にかけては養蚕が盛んになり、現在でも桑原宿の街道沿いには養蚕の飼育場、作業場に採光、通風を行う越屋根を載せた町屋が点在しています。

枡形に鎮座する天満宮は長徳4年(998)に中世当地を支配した桑原家の祖が菅原道真の分霊を勧請した事が始まりとされ元禄2年(1689)に現在地に遷座しています。往時は神像として恵心僧都が彫り込んだという座像が祀られていましたが明治41年(1908)に治田神社に遷され、天満宮自体も長福寺に遷されました。昭和38年(1963)に長福寺が廃寺になると天満宮再興の機運が高まり昭和50年(1975)に再興再建されました。周辺には行基菩薩の作の薬師如来を祀る佐野薬師や延喜式内社、旧郷社の治田神社などが境内を構え往時の歴史を伝えています。又、信濃の御家人和田石見入道佛阿の後裔で名字帯刀が許された豪商和田家や、松代藩士だった関家(武家屋敷:現在は伴月楼記念館、幕末には同じく松代藩士の佐久間象山も宿泊したとされます)などの遺構が、桑原宿の町並み景観に大きく寄与しています。

桑原宿:町並み・写真

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桑原宿 桑原宿 桑原宿 桑原宿
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桑原宿・神社・寺院・城郭・古民家

本陣
本陣
本陣
天満宮
天満宮
天満宮
和田家
和田家
和田家
伴月楼記念館
伴月楼記念館
伴月楼記念館


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